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富山市百塚遺跡から縄文時代の方行刻書石斧片(長さん)

以前に議論した、偶然に出来る凹凸から、
古い時代の遺物に将棋駒種の文字が書かれ
ているように錯覚しているという例の、以
下紹介である。ただし今回の例に関しては、

成立時代が問題で、縄文時代であり

に日本で漢字が書かれていた事を示してい
るのに変わり無いので、将棋史以前の問題
である。漢字は第1字を”方”とここでは
読んだが、

万の可能性も有る。

なお2字目が”行”かどうかは、実際には
曖昧とみる。では紹介を以下にする。
 出土したのは、西暦2009年前後の発
掘作業中のようであり、場所は富山県富山
市百塚の、百塚遺跡とされている。
 発掘報告書がweb上に公開されていて、
オンラインで見れ、奈良文化財研究所
発掘報告書データベース全国遺跡報告総覧
に登録されている。写真の出ているpdf
ファイルは、以下の通りである。
5379_1_富山市百塚遺跡発掘調査報告書.pdf
発掘報告書の表題は以下の通り
富山市埋蔵文化財調査報告461
富山市百塚遺跡発掘調査報告書、
富山市教育委員会、2012。
 写真は”写真図版52 百塚遺跡C・D・
E12地区”の右下隅に載っている石斧用
とされる石であり、遺物番号312となっ
ている。
 本文の102ページ付近に、遺物の解説
が有り、縄文時代の石斧と説明されている
と認識する。刻書の指摘は無い。

富山百塚方行.gif

 上図から、2字目の行は〒がかろうじて
判る程度であり、行ニンベンが本当に有る
かどうかは謎である。よって、本ブログで
は今の所、この遺物の刻書きは、文字が有
る。が、”方行”かどうかは謎であり、

”方”一文字であり”方行”とは書かれて
いないので、縄文時代に大大将棋が存在し
た事を意味しない

と解釈する。なお、本ブログのこれまでの
推定によれば、大大将棋は安土桃山時代の
豊臣秀次の知り合いの書道家によって、作
成されたものであるとみられている。
 ちなみに本当に方行とはっきり出ていた
ら、この単語も将棋に固有と見られるため、
定説は覆ると本ブログでは見る。なおそれ
以前に冒頭述べたように、少なくとも
本ブログ内での解釈だが、

縄文時代に日本に漢字が既に有った

としか思えないような奇妙な遺物だと見る。

一般論としてたいへんな遺物が眠っていた

という事に、本当にならないのだろうか。
(2021/02/24)

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