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岡山県岡山市津寺遺跡より古代末川将墨書土器(長さん)

以前、弥生時代と古墳時代成立とみられる、
角行記載が疑われた墨書土器が出土したと
紹介し、角以外は自然模様とした表題の遺
跡の少し前の別グループによる発掘で、古
代末成立の土器溜まりで川将という字のよ
うな模様の有る、墨書土器とみられる遺物
が発掘されていたとの旨を以下に紹介する。

大局将棋の古代成立を意味しない。
将棋の王将が成立していた時代に、それを
参考に、川の神様に対し、川将という単語
を作成した事を示してる

と本ブログでは見る。
 遺物は写真でweb上に公開されており、
発掘報告書の中にある。ただし、疑角行墨
書土器の写真の有る発掘報告書とは別であ
り、今回方は、西暦1988年の発掘作業
によるものであるらしく、角行墨書土器の
出土、西暦1990年よりも少し早い。
その発掘報告書も、奈良県の、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
13060_1_三手遺跡・津寺遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
岡山県埋蔵文化財発掘調査報告9
三手遺跡・沖寺遺跡、1994.3、
日本道路公団広島建設局岡山工事事務所・
岡山県教育委員会。
ちなみに、角行墨書土器の報告をした
発掘報告書は、1998年に
日本道路公団中国支社津山工事事務所が
作成している。
 遺物の成立年代は、古代末の墨書土器
を含む土器溜まりであるとの旨が、発掘報
告書の475ページ付近に記載されている。
 さて話題にしている墨書遺物は、前記発
掘報告書の図版166:”出土遺物(17)
土師器・墨書土器など”の2段目右にあり、
遺物番号第882番とナンバリングされて
いる土器の破片である。

津寺遺跡川将.gif

 墨書土器とされているようだが、読みは
紹介されていない。はっきりと川将と読め
るようであり、

近世成立の大局将棋より成立時期がはるか
に早い。

しかしながら、王将は成立時期を遅く見る
本ブログでも12世紀の平安末であるから、

将棋の王将が成立してから、この土器の
川将が成立した

と一応推定できる。よって例えば、

標準型平安小将棋(9升目36枚)の王将
から大局将棋が未成立でも川将が連想でき
たと考えれば成立年代の遅早に矛盾は無い

と考えられる。
 ところで”王”の墨書が出土する遺跡で、
”川”の墨書はしばしば出土する。土器の
練り方から逐次、王の縦棒を消失させた上、

90°字を回転させただけなのに近いため

と見られる。また、川に神様が居ると古代
人が考えたのは明らかである。だから、日
本に将棋が伝来した後に、王将が設立した
時代にも、王から川への置き換えはよく知
られていたとみられる、そこで川の神を頭
に浮かべながら、平安小将棋の駒名である
”王将”を参考にして、

川将は容易に作り得た

と推定される。よって例えば平安末の川将
の成立には、大局将棋の存在を、必ずしも
必要とはしていないと推定できると考える。
 以上のように、この墨書土器の字が確か
に平安時代末に書かれた川将に間違い無い
としても、古墳時代等の角行墨書とは違っ
て、王墨書と川墨書土器の共存の現実から
見て、存在に極端に大きな謎を伴っていな
いのではないかと、私は疑うのである。
(2021/07/28)

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