SSブログ

岐阜県岐阜市洞第二古墳で戦国期奔馬墨書土器(長さん)

今回は奉馬墨書土器で珍しく歴史時代の例
である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
70033_4_洞第2古墳群.pdf
なお、この報告書でデータベース上の
pdfファイルは、第1~第2pdfが
本文pdf、第3pdfが遺物観察表と、
遺跡の遺構分布図等、第4pdfが自然科
学分析、総括それに図版等のpdfである。
発掘報告書名は、以下の通りである。
岐阜県文化財保護センター調査報告書第143集
洞第2古墳群、西暦2020、岐阜県文化財保護
センター。
 例言等によると遺跡の場所は、岐阜県
岐阜市洞、冒頭「調査に至る経緯」によれ
ば、ここで話題とする遺物が発掘されたの
は、西暦2015年前後のようである。
 遺物の成立年代は、第2本文pdfの
147ページ付近に、問題とする遺物土器
は、「平場1の造成面B」から出土したが、
古墳時代以外の遺構であって、15世紀末
から16世紀半ばの、戦国時代のものと見
られるとの事である。
 遺物の写真は発掘報告書第4pdfの写
真図版24の右下隅に在り、遺物番号第
142番とナンバリングされている土器の
底部と側面一部の破片に見える物品である。

洞第2古墳奔馬.gif

 上図のように、写真の左より少し上に奉、
右の中断に馬のような漢字の模様が見える。
大局将棋は戦国時代ではなくて、江戸時代
の成立とされるし、第1字目が奔ではなく
て奉であるようだから、比較的時代の下る
戦国時代に一例戦国大名への、馬の献上の
際に付帯させる物品ではないかと私見され
る。将棋とは直接的には無関係だろう。
 古墳時代には馬の献上は土地の豪族、古
代には朝廷だったとみられるが、戦国時代
になると、一帯を支配する戦国大名向けに
なったのであろう。
 その際時代を超えて、今回紹介したよう
な馬用の土器が作られたのであろう。
(2022/01/28)

nice!(3)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 3

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。