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鹿児島県姶良市小瀬戸遺跡で平安初期仲人刻書土器(長さん)

今回は、鹿児島県姶良市小瀬戸遺跡の平安
時代の井戸跡から仲家ないし仲人等と刻書
された遺物土器片が出土していると旨の

以前紹介した話題の続報である。

 遺物の写真がweb上に公開されている
が、1か所ではなくて、

もう1か所の計2か所であった。

どちらも、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されていた。
 pdfファイル名は以下の通りである。
23037_1_九州縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告Ⅷ.pdf
23041_1_九州縦貫自動車道関係埋蔵文化財調査報告Ⅹ.pdf
下の方は、今回初めて紹介するものである。
以下は、後の方の発掘報告書の表題である。
鹿児島県埋蔵文化財発掘調査報告書(19)
九州縦貰自動車道関係埋蔵文化財調牡報告Ⅹ
小瀬戸遺跡・建馬場遺跡・松木田遺跡、
西暦1982年3月、鹿児島県教育委員会。
自動車道の工事に伴う調査の報告なので、
遺跡同士は直線状に離散していて関連性は
薄い。遺物はさいしょの小瀬戸遺跡から出
土したものである。以前にもそう紹介した。
 発掘報告書冒頭小瀬戸遺跡編の序文によ
ると遺跡の場所は鹿児島県姶良市(姶良郡
姶良町:当時)小瀬戸。遺物が出土したの
は、西暦1976年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第67
ページ付近の記載によると、遺跡自体が、
奈良時代から平安時代初とみられているよ
うに読取れる。平安時代初として以前にも
紹介している。
 遺物の写真は今回紹介したⅩの方の発掘
報告書では報告書の、写真図版第17の右
上に在り、第1号井戸跡から出土したとさ
れ、遺物番号第1番との旨、ナンバリング
されている。土器に刻書が在ると、この
発掘報告書でも指摘されているようである。
杯土器の破片との旨、発掘報告書の第42
ページ付近の表等に記載が在る。
 写真は、同じものかもしれないが、Ⅹで
は、以下のようなものが紹介されている。

小瀬戸遺跡仲人.gif

 上図のように、

この第2番目の発掘報告書でやっと、報告
者等が「仲家」と実際に釈文している

事が私に確認出来た。同一系統の発掘報告
書に、書いていたのである。ちなみに以前
指摘したように第2字目はやはり不明確で
ある。仲人かもしれないと、本ブログでは
解釈していた。古代から現代の神前結婚が、
余り差無く行われており、結婚式用の杯で
「なこうど用」のように、見えなくも無い
遺物だという意味である。
 平安大将棋で仲人が注人なのは、そのと
き指摘した通り、現代人と同様「なこうど」
が戦闘に参加するというのもおかしいと、
平安大将棋の作者にも考えられたからだろ
うという説明を、そのときにした。が、そ
れで良かったであろうと、依然として私は
考えている。(2022/12/02)

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