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群馬県館林市北近藤第一地点遺跡で平安期泰山墨書土器(長さん)

 今回は、北方に関東山地の山が望める
群馬県館林市の遺跡で、古代成立と見ら
れる、漢字で奉山と書かれているように
見える杯状の土器出土の話題である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
60672_1_中島遺跡北近藤第一地点遺跡南近藤遺跡.pdf
発掘報告書の名称は以下の通りである。
群馬県館林市埋蔵文化財発掘調査報告書第20集
中島遺跡・北近藤第一地点遺跡・南近藤遺跡、
1988年、館林市教育委員会。
 遺物はこのうち、真ん中の”北近藤第一
地点遺跡”で出土したようである。
 発掘報告書に遺跡の位置が詳しく書かれ
ておらず正確な場所が私には把握できない。
「東武小泉線成島駅の南2km地点」との
旨、記載されている。群馬県館林市市内と
みられる。遺物が出土したのは、発掘報告書
冒頭の例言によると、西暦1987年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書の第2ペー
ジ付近の記載から、近接する苗木西遺跡
同様、平安期のものと読取れるように考える。
 遺物の写真は発掘報告書の第136ページ
の最上段左に在り、遺物に”北14住63”
との旨付記されている。”63番”が遺物の
番号だとみられる。杯型の土器のように、
私には見える。

北近藤第一泰山.gif

 上図のように、中央やや左の、横縞が、
ちょうどうまいぐわいに切れた部分に縦に、
漢字で奉山のように見える黒い模様が在る。
 館林市内の北には足尾山系渡良瀬渓谷の山
の景色が広がるため、古代に山を奉じたもの
ではないかと、この墨書土器の正体を私的に
疑っている。(2023/01/27)

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