SSブログ

島根県出雲市山持川川岸遺跡で3C泰山墨書土器(長さん)

 今回は過去類例を紹介しているが、
島根県で弥生時代後期の成立とされて
いる土器破片に、黒く”奉山”、少な
くとも漢字の”奉”がくっきり書いて
あるように見える土器が、前世紀末に
出土しているとの旨の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に掲っている。発掘報告書
が奈良文化財研究所発掘報告書データ
ベース、全国遺跡報告総覧に登録公開
されている。
pdfファイル名は以下の通りである。
2986_1_山持川川岸遺跡.pdf
 なお、pdfファイルは2つだが、
遺物の写真はたまたま、第1本文
pdfの末尾に入った、写真図版冒頭
の方の部分に掲載されている。
発掘報告書の名称は以下の通りである。
山持川川岸遺跡、1996年、出雲市教育委員会。
 発掘報告書冒頭例言によると、遺跡
の場所は、島根県出雲市市内たぶん
林木町付近であり、出雲北稜高校に近
接する現在宅地、当時北の田の中のよ
うに発掘報告書第1ページ付近の地図
から読み取れるが、今の所私には、
住所等の発掘報告書内の記載は発見出
来てい無い。
 遺物が出土したのは発掘報告書第3
ページ付近の記載より、西暦1994
年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第
52ページ付近の記載より、遺跡自体
が弥生時代後期後半、3世紀頭前後の
集落と見られているように読み取れ、
今回紹介する物品も、その頃のものと
見られているように、私には読める。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第
12:”第2土坑”の下段カラム右上
に在り、スケッチ図第11の遺物番号
第3番との旨ナンバリングされている。
 破片土器の側面写真のように私には
見えるが、スケッチ図1により高台付
杯の杯部の破片と見られているようで
ある。

山持川川岸泰山.gif

 上図のように、かなりくっきりと、
中央に横に並んで、二つの黒い煤模様
が在り、左から右へ漢字で”奉山”と
書かれているように私見する。ただし、
「山」の右部分がカスレているように
も見えて、やや不明確ではある。
 渡来人が出雲市の山沿いの山間部に
入り、山で何らかの活動をしながら
弥生時代後期後半に、道教的信仰等か
ら山を奉じた、祭祀用墨書土器が疑わ
れると考える。従来の本ブログ見解を、
補強している例と私見する。(2023/05/30)

nice!(5)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 5

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。