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大和郡山市平城京右京跡で奈良期泰山墨書土錘(長さん)

今回は、平城京跡で奈良時代のものとされ
る焼き物の土錘に、漢字で奉山と書いてあ
るように見える模様が有るという、比較的
珍しい遺物例の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は以下の通りである。
1823_1_平城京右京八条二坊五・六・十一・十四坪.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
大和郡山市埋蔵文化財調査報告書第15集
平城京右京八条二坊五・六・十一・十四坪、
2009年、大和郡山市教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
奈良県大和郡山市九条町229-3。遺物
が出土したのは、西暦2005年前後の事
のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第47
ページ付近の記載により、遺物は平安時代
成立の第0519土坑で出土したが、
平安時代より前のものであり、都であった
奈良時代の遺物が混合したもので、奈良
時代、8世紀の遺物と考えられているよう
に読み取れる。
 遺物の写真は発掘報告書写真図版第21:
”粘土採掘坑、後世の遺構出土土器、
包含層出土土器①”の第4段目左に有り、
遺物番号第152番との旨、ナンバリング
されている。中心を貫通する穴の有る土器
の錘であり、池等で魚を採取するのに使用
する物品とも私には思われる出土物である。

平城京八条泰山.gif

 上図のように黒い模様が有り、発掘報告
書でも「黒斑あり」と表現され、漢字で
「奉山」と書いてあるようにも見える。
 奈良盆地の山が遠望される池か沼で、豊
富な淡水魚を採集するときなどに奈良時代、
生類供養等の神事を行う祭祀に、使用した
錘なのであろうか。残念ながら、私には
はっきりとは意図が判らない。池等の歴史
が、古い事を物語るのかもしれない。
(2023/06/06)

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