SSブログ

千葉県市原市江子田遺跡で古墳期龍山墨書土器(長さん)

今回は、古墳時代に大きな集落だったとされる
千葉県ほぼ真ん中の市原市江子田遺跡で、低山
を龍の山に見立てて、祭祀を行ったようにも見
え、「龍山」という墨書の有る疑いの有る台付
杯土器の破片が、少し前に出土しているとの旨
の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
139385_1_市原市江子田遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
千葉県教育委員会埋蔵文化財調査報告第49集
市原市江子田遺跡、西暦2024年2月、
千葉県教育委員会。
 発掘報告書冒頭凡例により遺跡の場所は、
千葉県市原市江子田字大宮後。遺物が出土した
のは、西暦2014年から西暦2016年程度
の間の事のようである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書のまとめ、
第177ページ付近の記載から、遺跡自体が、
古墳期全般にわたり、大きな集落だったとされ、
その時代の範囲のどこかの時点での遺物と取れ
るように、私には読取れる。なお発掘報告書の
第92ページ付近の記載により、遺物は第67
竪穴住居跡で出土し、住居跡自体は、古墳時代
中期の5世紀前半ではないかとの事である。
 また第4ページ上段の記載から遺跡は、東に
奥へ細長く続く低山の裾野の、小高い丘の西端
のような場所であり、遺物の出土環境は以上の
ような、アップダウンの有る平野部の中である
と言うことである。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第44の
下から2段目中央に在り、第67竪穴住居跡の
遺物番号第5番との旨ナンバリングされている。
 台付き杯土器で、杯が折れて無くなった、下
の部分だけの破片のように、私には見える。

江古田龍山.gif

 上図のように、脚の最下部に縦の写真でほぼ、
中央に、お互いに完全にくっついてしまってい
るが、漢字で「龍山」と書かれているようにも
見える、暗い模様が有るように私見する。
 古墳時代に、現地から見て東側の小高い山を、
南側に川が流れていることから龍の棲む繁みと
見て、祭祀を行った際に使用した土器の、破片
かもしれないと私見する。埼玉県さいたま市南
区大谷場の道教信仰の地が疑われる遺物と、同
じような形態の祭祀用施設が、同様に千葉県の
江子田遺跡にも、存在したのではないかと私は
疑っている。(2024/05/15)

nice!(13)  コメント(0) 
共通テーマ:趣味・カルチャー

nice! 13

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。