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千葉県君津市芋窪原遺跡で縄文後期竜山墨書土器(長さん)

今回は、表題の遺跡で、加曾利B3式の鉢型
土器とされた、やや欠けた器物土器に、漢字
で「竜山」と書かれているようにも見える、
小さな模様があるとの旨の紹介である。

 後代に鉢破片が掘り起こされて、道教信仰
の龍神の文字が付記された

のであろうが、模様の成立年代が古い時代で
ある事は、間違い無いように、私見される。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。 
139387_1_君津市芋窪原遺跡.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
千葉県教育委員会埋蔵文化財調査報告第51集
君津市芋窪原遺跡、西暦2024年3月、
千葉県教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録により、遺跡の場所は、
千葉県君津市芋窪字芋窪台124。遺物が
出土したのは、西暦2019年前後の事のよ
うである。
 遺物の成立年代は、発掘報告書第61ペー
ジ付近の記載により、物品は加曾利B3式の
土器で、縄文時代と見られているものと、私
には読取れる。発掘報告書第239ページ付
近の記載により、加曾利B3式の土器群は、
縄文時代後期の、紀元前15世紀前後の遺物
と、たいへん古い物品とみられているようで
ある。黄河文明での、漢字の成立以前という
事になる可能性が濃い。
 発掘報告書第160ページ付近のの記載よ
り、遺物は浅鉢との事である。
 遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
25の下から2段目左に在り、発掘地点C区
の第276番との旨、ナンバリングされてい
て、繰り返すと加曾利B3式の縄文土器との
事である。

芋窪原竜山.gif

 上図のように、写真で左上の裂け目の右に、
縦に小さく漢字で「竜山」と書かれているよ
うにも、私には見える模様がある。
 発掘報告書冒頭、第4ページ付近の「遺跡
の位置と地理的環境」によると、現地は標高
差最大、数十メートルのアップダウンのある、
丘の中との事であり、川の蛇行する中の丘は、
以前紹介した、千葉県市原市江子田遺跡と同
様、龍神の棲み家と、古い時代から考えられ
ていたものと私には疑われる。墨書だとして
成立した時代は、この例に関しては定かでは
無い。が、縄文土器が地面を掘り起こすと、
出て来るような事は、以前述べた江子田遺跡
の出土土器の成立年代である弥生~古墳期頃
にも、あったのであろうと私は思う。
 現に本ブログの管理人は「今から六十有余
年前にとある自治体で、加曾利式ないし安行
式土器が、道路の拡張工事の際に出土し、請
負業者が私物として持ち去ったと、付近住人
の間で、非難の噂が流れていた」という話を、
以前に小耳に挟んだ事が有る。その持ち去っ
た業者が咎められたかどうかとか、その土器
の行方が、今ではどうなったのかは、私には
謎だが。いわゆる出土土器が、ちょっと掘れ
ば出て来るという遺跡が、20世紀時点程度
まで時代が下っても、関東南部に存在した事
は、確かなのではないかと、あくまで私見だ
が、そう認識している。
 よって縄文土器が後世に、発掘作業とは関
係無く、偶然出土するという事は、その事か
ら、私的には有り得る話だと思っているので
ある。恐らくだが今回の遺物のように、加曾
利B3式土器の破片のうち、凹凸の少ない
物品に、道教の龍神信仰に関連する文字を入
れて祭祀用に使うという事が、弥生時代以降
に有ったので。縄文土器の、縄文模様の薄い
余白に、文字がたまたま書かれたという経緯
ではないかと、今の所私は、この縄文土器の
墨書については考える。(2024/05/16)

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