何故「一の谷見立将棋合戦」の飛車は飛百か(長さん)
19世紀中成立だと私は聞くが浮世絵に歌川芳員
作の、「一の谷見立将棋合戦」という作品がある。
鎌倉時代に見立てた、鎧を着た源平を表す赤と
無彩色将棋駒頭のロボットのような武者が、白兵
戦を演じている絵である。狂画とか錦絵とか言わ
れていると、故・山本亨介の将棋文化史の、第
209ページ付近に書かれている。同著書では、
本のカバーに、その絵の部分図が載っている。
将棋駒名を辿るのは容易だが、
飛車が飛百になっているのが、奇妙だ。
今回は、そこから何を読取れるのかを調査したの
で、以下結果を示す。
将棋駒書体になってしばらくした、江戸時代で
も遅い頃の作である事がそこから判るようである。
回答は、別の成書、増山雅人の「将棋駒の世界」、
中公新書/中央公論、西暦2006年/中央公論
新社の第42ページ付近の、「駒字考察/飛車」
に、そのヒントがある。飛車の「車」の字は江戸
期に、駒師の裾野が広くなるにつれ、何らかの省
略により、切り詰めないとスペースが足らないと、
共通認識されたとの旨の記載が在る。
通常は、「旦」の部分を且に変えて乗り切った
というのだが。
一の谷見立将棋合戦の浮世絵では、歌川芳員は、
第一画の横棒を飛の下部に入り込ませ、縦棒を、
飛の中央縦棒と兼用にして、乗り切ろうと独自に
飛車の「車」だけ書体を作ったようだ。ところが、
飛の縦棒と車の縦棒を連続させるのは、車の縦棒
は途中で、原則的に曲げられないので表現不能
となり、それならいっそと、車の縦棒を省略して、
下記の図のように、「百」にしてしまったようだ。
なお、以上の思考を、専門絵師の歌川芳員は、当
時、ほとんど反射的にしたらしい。
そして、第2字目は「百」では無いのを、下部
に「しっぽ」を縦に付けて、表現する、独特の
「車」の略字を作ったという事らしい。つまり、
車は省略しなければならないという、将棋駒の
「飛車」字体が成立してから、この浮世絵は成立
したと判るという訳で、19世紀以降の史料とい
う事になるようだ。
尤も、山本亨介の将棋文化史の第209ページ
付近に書いているように錦絵自体のの成立が西暦
1765年前後なので、この絵が錦絵であるから、
19世紀成立なのは、飛車が飛百になっている事
以前に明らかなようなのだが。
江戸時代末成立なのが、絵のカテと将棋駒の
飛車への字体の工夫と、両方から判るという点を
調べて知り、専門家には、当たり前だったのかも
しれないが。少なくとも私には、史料の成立年代
を割り出す方法を知るという意味で、今回は勉強
になったと、思ったところである。(2024/05/17)
作の、「一の谷見立将棋合戦」という作品がある。
鎌倉時代に見立てた、鎧を着た源平を表す赤と
無彩色将棋駒頭のロボットのような武者が、白兵
戦を演じている絵である。狂画とか錦絵とか言わ
れていると、故・山本亨介の将棋文化史の、第
209ページ付近に書かれている。同著書では、
本のカバーに、その絵の部分図が載っている。
将棋駒名を辿るのは容易だが、
飛車が飛百になっているのが、奇妙だ。
今回は、そこから何を読取れるのかを調査したの
で、以下結果を示す。
将棋駒書体になってしばらくした、江戸時代で
も遅い頃の作である事がそこから判るようである。
回答は、別の成書、増山雅人の「将棋駒の世界」、
中公新書/中央公論、西暦2006年/中央公論
新社の第42ページ付近の、「駒字考察/飛車」
に、そのヒントがある。飛車の「車」の字は江戸
期に、駒師の裾野が広くなるにつれ、何らかの省
略により、切り詰めないとスペースが足らないと、
共通認識されたとの旨の記載が在る。
通常は、「旦」の部分を且に変えて乗り切った
というのだが。
一の谷見立将棋合戦の浮世絵では、歌川芳員は、
第一画の横棒を飛の下部に入り込ませ、縦棒を、
飛の中央縦棒と兼用にして、乗り切ろうと独自に
飛車の「車」だけ書体を作ったようだ。ところが、
飛の縦棒と車の縦棒を連続させるのは、車の縦棒
は途中で、原則的に曲げられないので表現不能
となり、それならいっそと、車の縦棒を省略して、
下記の図のように、「百」にしてしまったようだ。
なお、以上の思考を、専門絵師の歌川芳員は、当
時、ほとんど反射的にしたらしい。
そして、第2字目は「百」では無いのを、下部
に「しっぽ」を縦に付けて、表現する、独特の
「車」の略字を作ったという事らしい。つまり、
車は省略しなければならないという、将棋駒の
「飛車」字体が成立してから、この浮世絵は成立
したと判るという訳で、19世紀以降の史料とい
う事になるようだ。
尤も、山本亨介の将棋文化史の第209ページ
付近に書いているように錦絵自体のの成立が西暦
1765年前後なので、この絵が錦絵であるから、
19世紀成立なのは、飛車が飛百になっている事
以前に明らかなようなのだが。
江戸時代末成立なのが、絵のカテと将棋駒の
飛車への字体の工夫と、両方から判るという点を
調べて知り、専門家には、当たり前だったのかも
しれないが。少なくとも私には、史料の成立年代
を割り出す方法を知るという意味で、今回は勉強
になったと、思ったところである。(2024/05/17)
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