「一の谷見立将棋合戦飛白」駒は盤上太平棋の龍王駒(長さん)
以前本ブログで、歌川芳員の一の谷見立将棋合戦の
絵であると説明した写真は、西暦1843年と同期
成立なものの、歌川国芳の「駒くらべ盤上太平棋」
の絵の将棋駒であった。
本ブログの管理人の大ミス
であり、平にお詫びしたい。なお、この駒は飛車で
は無くて、龍王と書かれている。飛車は、別に楷書
の飛車として歌川国芳の「駒くらべ盤上太平棋」で
は描かれている。絵なので、実物駒の形よりも細長
く描け、旦ではなくて且だが、日と一の接触は強く
は無い。話は実際には、相当にややこしい。
web等で、山本亨介の将棋文化史のカバーでは
無くて、全体図が描かれたページを見て、私は間違
いに気がついた。なお、将棋文化史のカバーの絵は、
歌川国芳の前記錦絵の初版では無くて、第2版の絵
である。以前本ブログで紹介した将棋駒の絵で、第
1字目の、実際には「龍」の字の、左端の跳ねが低
いのが1843年の初版。紹介のように高く跳ねて
いるのが、第2版というふうに区別できるという、
話である。
ちなみに、初版の絵は、国立図書館「囲碁・将棋
文化史展」西暦1988年の記念図版集で、紹介さ
れているとの事である。
そこで、書かれている字が龍王であるとして、
第1字目が「飛」にも「龍」にも見える字、第2字
目が「王」の草書体には見え難い字である理由は、
歌川国芳がオリジナルなので謎だ
と、webの将棋駒販売店のサイトに、そう読める
記載がある。
これと、以下の龍馬の第1字目の「龍」の字の
ツクリが、右上に縮んでいる点の正当性については、
この書体こそ、歌川国芳が西暦1843年頃に始め
た、オリジナルなものなので、そういうものだと、
記憶するしか無い
らしい。
現実に使われている幕末将棋駒の中に、上の龍王
に近いものがあると本ブログの管理人は、前記将棋
駒販売店のサイトで、実物の将棋駒の写真を見て認
識するが。そちらの方が第2字目は「王」に見える
ように、歌川国芳書体を幾分戻しているようである。
何れにしても歌川国芳の将棋駒の書体は、どう考え
てそれを書いたのかは、不明としておくしか私には
無さそうだ。(2024/05/20)
絵であると説明した写真は、西暦1843年と同期
成立なものの、歌川国芳の「駒くらべ盤上太平棋」
の絵の将棋駒であった。
本ブログの管理人の大ミス
であり、平にお詫びしたい。なお、この駒は飛車で
は無くて、龍王と書かれている。飛車は、別に楷書
の飛車として歌川国芳の「駒くらべ盤上太平棋」で
は描かれている。絵なので、実物駒の形よりも細長
く描け、旦ではなくて且だが、日と一の接触は強く
は無い。話は実際には、相当にややこしい。
web等で、山本亨介の将棋文化史のカバーでは
無くて、全体図が描かれたページを見て、私は間違
いに気がついた。なお、将棋文化史のカバーの絵は、
歌川国芳の前記錦絵の初版では無くて、第2版の絵
である。以前本ブログで紹介した将棋駒の絵で、第
1字目の、実際には「龍」の字の、左端の跳ねが低
いのが1843年の初版。紹介のように高く跳ねて
いるのが、第2版というふうに区別できるという、
話である。
ちなみに、初版の絵は、国立図書館「囲碁・将棋
文化史展」西暦1988年の記念図版集で、紹介さ
れているとの事である。
そこで、書かれている字が龍王であるとして、
第1字目が「飛」にも「龍」にも見える字、第2字
目が「王」の草書体には見え難い字である理由は、
歌川国芳がオリジナルなので謎だ
と、webの将棋駒販売店のサイトに、そう読める
記載がある。
これと、以下の龍馬の第1字目の「龍」の字の
ツクリが、右上に縮んでいる点の正当性については、
この書体こそ、歌川国芳が西暦1843年頃に始め
た、オリジナルなものなので、そういうものだと、
記憶するしか無い
らしい。
現実に使われている幕末将棋駒の中に、上の龍王
に近いものがあると本ブログの管理人は、前記将棋
駒販売店のサイトで、実物の将棋駒の写真を見て認
識するが。そちらの方が第2字目は「王」に見える
ように、歌川国芳書体を幾分戻しているようである。
何れにしても歌川国芳の将棋駒の書体は、どう考え
てそれを書いたのかは、不明としておくしか私には
無さそうだ。(2024/05/20)
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