群馬県長野原町上ノ平遺跡で10C山泰墨書土器(長さん)
今回は、表題の群馬県長野原町の山間部の遺跡で、
10世紀初頭の炊事用の甕型の土器に、漢字で
「山奉」と書いてあるように見える、煤模様が有
るとの旨の紹介である。
煤では無くて祭祀用の疑いもある
と私見する。
遺物の写真がweb上に公開されていて、この
ケースは研究紀要の冊子に載っている。その研究
紀要の冊子が、奈良文化財研究所の発掘報告書
データベース、全国遺跡報告総覧に登録公開され
ている。pdfファイル名は、以下の通りである。
139772_1_研究紀要.pdf
研究紀要である冊子の表題は、以下の通り。
研究紀要32、2014、公益財団法人/群馬県
埋蔵文化財調査事業団。
論文は紀要の第53ページより在り、表題は、
以下の通り。
平安時代主食穀物についての素描2―長野原町
上ノ平Ⅰ遺跡の土器使用痕と出土炭化種実―、
洞口正史・外山政子・有山径世・小此木真理・
佐々木由香・バンダリ=スダルシャン。
遺跡の場所は、紀要の第54ページ付近の記載
より、群馬県吾妻郡長野原町大字川原畑字上ノ平。
高地に所在する。
遺物が出土したのは、論文冒頭により、
西暦2008年前後の事のように私には読取れる。
遺物の成立年代は、該研究紀要の第55ページ
付近の記載より、10世紀初頭と考えられている
ようである。
遺物の写真は、紀要の第62ページの第3段目
左に有り、第1住居跡の遺物番号第21番との旨、
ナンバリングされている、炊事用釜のように私に
は見える出土品である。なお本文中にこの物品に
対する説明は、今のところ発見され無い。論文で
は、出土物に付着した煤について論じているが、
個別に、以下の模様が何なのかは、文面からは私
には良く判らない。
上図のように写真の右のほぼ中段に小さく、漢
字で山奉と書かれているように見える、模様が有
るように私には見える。煤の可能性も有るであろ
うが、浅間山を奉じる、古代の山岳信仰の祭祀用
遺物の可能性も有りえると、今の所私見する。
(2024/06/21)
10世紀初頭の炊事用の甕型の土器に、漢字で
「山奉」と書いてあるように見える、煤模様が有
るとの旨の紹介である。
煤では無くて祭祀用の疑いもある
と私見する。
遺物の写真がweb上に公開されていて、この
ケースは研究紀要の冊子に載っている。その研究
紀要の冊子が、奈良文化財研究所の発掘報告書
データベース、全国遺跡報告総覧に登録公開され
ている。pdfファイル名は、以下の通りである。
139772_1_研究紀要.pdf
研究紀要である冊子の表題は、以下の通り。
研究紀要32、2014、公益財団法人/群馬県
埋蔵文化財調査事業団。
論文は紀要の第53ページより在り、表題は、
以下の通り。
平安時代主食穀物についての素描2―長野原町
上ノ平Ⅰ遺跡の土器使用痕と出土炭化種実―、
洞口正史・外山政子・有山径世・小此木真理・
佐々木由香・バンダリ=スダルシャン。
遺跡の場所は、紀要の第54ページ付近の記載
より、群馬県吾妻郡長野原町大字川原畑字上ノ平。
高地に所在する。
遺物が出土したのは、論文冒頭により、
西暦2008年前後の事のように私には読取れる。
遺物の成立年代は、該研究紀要の第55ページ
付近の記載より、10世紀初頭と考えられている
ようである。
遺物の写真は、紀要の第62ページの第3段目
左に有り、第1住居跡の遺物番号第21番との旨、
ナンバリングされている、炊事用釜のように私に
は見える出土品である。なお本文中にこの物品に
対する説明は、今のところ発見され無い。論文で
は、出土物に付着した煤について論じているが、
個別に、以下の模様が何なのかは、文面からは私
には良く判らない。
上図のように写真の右のほぼ中段に小さく、漢
字で山奉と書かれているように見える、模様が有
るように私には見える。煤の可能性も有るであろ
うが、浅間山を奉じる、古代の山岳信仰の祭祀用
遺物の可能性も有りえると、今の所私見する。
(2024/06/21)
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