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埼玉県久喜市栗橋北2丁目陣屋跡で第4枚目「将棋駒」(長さん)

以前に述べたが、埼玉県久喜市栗橋北西陣屋跡
から、江戸時代後期18世紀初成立とされる、
成り龍馬角行が出土し、恐らく数十メートル
以内の地点で、一連の同じシリーズの発掘で、
江戸期の成金銀将と、駒名が消えた将棋駒型の
木片が1枚ずつ、計3枚の将棋駒が発掘されて
いるとの旨、本ブログで紹介した。後2者は、
pdfファイル名で、以下の名称で、web上
に公開されているという事であった。
132733_2_北2丁目陣屋跡.pdf
 本ブログの管理人も、実際に発掘作業が行わ
れていた頃、偶然通りかかり、その作業を西暦
2018年頃見学している。西陣屋跡遺跡の
発掘はしばらく続き、翌年頃の西暦2019年
前後に、前記pdfの後2者の将棋駒遺物は、
発掘されていたようだ。
 結局ここまでで、この遺跡から出土した将棋
駒は、3枚のはずだったのだが。
 前記の発掘報告書を良く読み返したところ、

第4枚目とされる第128番木製品が、写真で
出ている

事が判明した。
 ただし、将棋駒では無くて、

木製の小さなカルタ板のように私には見える。

 繰り返すと遺物の写真が、web上に公開さ
れていて、発掘報告書に載り、発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録公開されているが、
その4枚目の「将棋駒」が載っている報告書の、
pdfファイル名、発掘報告書名、遺跡の場所、
出土年、成立年代を順に述べてまとめると、
以下のようになる。
 pdfファイル名:
132733_2_北2丁目陣屋跡.pdf
 発掘報告書の名称;
埼玉県埋蔵文化財調査事業団報告書第468集
北2丁目陣屋跡、2021年、国土交通省
関東地方整備局・公益財団法人埼玉県埋蔵文化財
調査事業団。
 発掘報告書末尾(第2pdf)の抄録により
遺跡の場所は埼玉県久喜市栗橋北2丁目
3409の2他。遺物が出土したのは、
西暦2019年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、同じく抄録によると、
幕末西暦1860~1870年代の陶磁器製品
が主体であり、その頃の史料と考えられている
ようである。
 遺物の写真は発掘報告書第2pdf写真図版
の部の写真図版第22の第3段目左にどちらが
「上の句」なのか私には謎だが、2コマ両面
写真が在り”9遺物包含層(第74図第128
番)”との旨、ナンバリングされている。

将棋駒のように見えない台形なので、まさか
「将棋駒」と発掘報告書で紹介されたとは、私
は思わなかった

という事情で、初紹介になった次第である。
栗橋カルタ.gif


 以下私見だが。字は和歌に必要な数だけ裏表
に上の句、下の句が分けて書かれていて、全部、
油等により滲んで内容が判らない状態で出土し
たという代物ではないかと疑う。縦書きに和歌、
下の方に、墨で挿絵や、コメントが書いてあっ
たのではないかと疑う。台形なのは単純に意匠。
 カルタの詳しい歴史を個人的に、未チェック
だが。百人一首のカルタ取り遊びの類を、江戸
末期には、していたという証拠の遺物ではない
かと、はっきりし無いが思っている。(2024/07/23)

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