北海道恵庭市西島松5遺跡で擦文期泰山刻書擦石(長さん)
今回は、以前に紹介した北海道札幌市南東
恵庭市の大規模遺跡で、擦文時代の山岳
信仰と疑われる、「奉山」と読める字が、
石器(擦り石)に刻書されているように見
える遺物が出土しているとの旨紹介である。
なお、以前紹介した「馬奉山」墨書遺物
よりはずっと時代が下り、本州以南の古代
のカテゴリーに入る遺物である。大規模な
石狩平野の集落クラスともなると、
奉山程度の祭祀用の漢字の普及は、北海道
と本州以南とで、桁違いの成立年代の差は
無かった
のかもしれない。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
71680_4_西島松5遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
北埋調報178/恵庭市西島松5遺跡、
西暦2000~2002年、財団法人
北海道埋蔵文化財センター。
発掘報告書第1pdf(第1分冊本文)
末尾抄録により遺跡の場所は、北海道
恵庭市西島松545。遺物が出土したのは、
西暦2000年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdf第235ページ付近の記載から、共
出土した土器の形から、出土した第103
ピット(恐らく墓跡)自体が擦文時代、
本州以南の古代とみられているように、私
には読取れる。
遺物の写真は発掘報告書、第4写真図版
pdfの写真図版第141:”遺構出土の
石器/土壙墓出土石器(6)”の一番下の
カラム”P103”の左端に在り、第
103ピット(恐らく墓穴)の第1番遺物
との旨、ナンバリングされていて、作業用
の台座と、研磨を兼ねる石のように私には
見える物品である。

上図のように、最も擦り減った左側に縦
に漢字で、「奉山」と彫ったように私には
見える黒い模様が在る。なお、その左側に
小さく「杜」と書かれているかもしれ無い。
故人の使用物であり擦石として使用した
後に山岳信仰用に転用したようにも見える。
北海道でも本州以南と恐らく同じパターン
の山岳信仰が、本州以南の古代に当たると
みられる擦文時代に、大規模遺跡では普通
に存在した事を示している疑いが有ると私
見される。(2024/08/23)
恵庭市の大規模遺跡で、擦文時代の山岳
信仰と疑われる、「奉山」と読める字が、
石器(擦り石)に刻書されているように見
える遺物が出土しているとの旨紹介である。
なお、以前紹介した「馬奉山」墨書遺物
よりはずっと時代が下り、本州以南の古代
のカテゴリーに入る遺物である。大規模な
石狩平野の集落クラスともなると、
奉山程度の祭祀用の漢字の普及は、北海道
と本州以南とで、桁違いの成立年代の差は
無かった
のかもしれない。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
71680_4_西島松5遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
北埋調報178/恵庭市西島松5遺跡、
西暦2000~2002年、財団法人
北海道埋蔵文化財センター。
発掘報告書第1pdf(第1分冊本文)
末尾抄録により遺跡の場所は、北海道
恵庭市西島松545。遺物が出土したのは、
西暦2000年前後の事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第1本文
pdf第235ページ付近の記載から、共
出土した土器の形から、出土した第103
ピット(恐らく墓跡)自体が擦文時代、
本州以南の古代とみられているように、私
には読取れる。
遺物の写真は発掘報告書、第4写真図版
pdfの写真図版第141:”遺構出土の
石器/土壙墓出土石器(6)”の一番下の
カラム”P103”の左端に在り、第
103ピット(恐らく墓穴)の第1番遺物
との旨、ナンバリングされていて、作業用
の台座と、研磨を兼ねる石のように私には
見える物品である。

上図のように、最も擦り減った左側に縦
に漢字で、「奉山」と彫ったように私には
見える黒い模様が在る。なお、その左側に
小さく「杜」と書かれているかもしれ無い。
故人の使用物であり擦石として使用した
後に山岳信仰用に転用したようにも見える。
北海道でも本州以南と恐らく同じパターン
の山岳信仰が、本州以南の古代に当たると
みられる擦文時代に、大規模遺跡では普通
に存在した事を示している疑いが有ると私
見される。(2024/08/23)
コメント 0