奈良県桜井市纏向遺跡で古墳期泰山墨書高杯(長さん)
既に、この遺跡の古墳前期の奉山/山奉墨書
土器に付いては紹介しているが、別例があり、
かつ、
「金」と大きく書かれ、渡来人系の鉱脈探索
が、当然かもしれ無いが貴金属類の掘り出し
を目標としていた
と、はっきり判る例が有るので、以下に紹介
する。今回の遺物はweb上に写真が有る。
遺物の写真は、かなり前の発掘報告書に載っ
ている。発掘報告書がいつもの通り奈良文化
財研究所の発掘報告書データベース、全国
遺跡報告総覧に、登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
62743_1_纒向遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
纏向遺跡/1980年遺跡範囲確認発掘調査
概報、1981年3月、奈良県桜井市教育委員会。
発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
奈良県桜井市大字巻之内564~565-1。
遺物が出土したのは、西暦1980年前後の
事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第5ページ
付近によると、遺物はA地区の土器溜りで
出土したが、同発掘報告書第2ページ付近の
記載から古墳時代中期、5世紀後半前後の物
品と見られているように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第16
の下から2段目右から2番目に在り、土器の
遺物番号第17番とナンバリングされ、土器
溜りで出土した旨が、下段の注記で示されて
いる。スケッチ図との関係が、私には掴めて
い無いが「器台」とされているように取れる。

上図のように、中央やや右に寄って台横に
漢字で「金」と書いて在るように見える模様
が特に目立つ。「奉山」は杯部分で、右縁に
近い部分に、縦書きに書いて在ると私見する。
山での渡来人の鉱脈探索の狙いが、当然か
もしれないが、本来「金鉱脈目当て」だった
事が、良く判る遺物と私は思っている。大和
王権発祥と疑われてる本遺跡で、「黄金の国
ジパング」が示唆されていると、言えるので
は無いかと私は思う。(2024/08/30)
土器に付いては紹介しているが、別例があり、
かつ、
「金」と大きく書かれ、渡来人系の鉱脈探索
が、当然かもしれ無いが貴金属類の掘り出し
を目標としていた
と、はっきり判る例が有るので、以下に紹介
する。今回の遺物はweb上に写真が有る。
遺物の写真は、かなり前の発掘報告書に載っ
ている。発掘報告書がいつもの通り奈良文化
財研究所の発掘報告書データベース、全国
遺跡報告総覧に、登録公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
62743_1_纒向遺跡.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
纏向遺跡/1980年遺跡範囲確認発掘調査
概報、1981年3月、奈良県桜井市教育委員会。
発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
奈良県桜井市大字巻之内564~565-1。
遺物が出土したのは、西暦1980年前後の
事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第5ページ
付近によると、遺物はA地区の土器溜りで
出土したが、同発掘報告書第2ページ付近の
記載から古墳時代中期、5世紀後半前後の物
品と見られているように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書写真図版第16
の下から2段目右から2番目に在り、土器の
遺物番号第17番とナンバリングされ、土器
溜りで出土した旨が、下段の注記で示されて
いる。スケッチ図との関係が、私には掴めて
い無いが「器台」とされているように取れる。

上図のように、中央やや右に寄って台横に
漢字で「金」と書いて在るように見える模様
が特に目立つ。「奉山」は杯部分で、右縁に
近い部分に、縦書きに書いて在ると私見する。
山での渡来人の鉱脈探索の狙いが、当然か
もしれないが、本来「金鉱脈目当て」だった
事が、良く判る遺物と私は思っている。大和
王権発祥と疑われてる本遺跡で、「黄金の国
ジパング」が示唆されていると、言えるので
は無いかと私は思う。(2024/08/30)
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