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大分県日田市吹上遺跡で弥生中山泰貝輪(長さん)

今回は、大分県日田市の表題弥生遺跡で、
副葬品が最も多いとされる、第4号
甕棺墓に、15枚片腕用貝輪とみられる
物品の、第8番目ちょうど真ん中の貝輪
に、漢字で「山奉」と書いて有るような、
茶色の模様が有るように、私には見える
との旨の紹介である。

西洋紀元前後の弥生時代の集落の長は、
識字出来る祈祷師だった事を示している

のでは無いかと私は疑う。
 遺物の写真がweb上に公開されて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所発掘報告書デタベース
全国遺跡報告総覧に登録公開されている。
 pdfファィル名は以下の通りである。
77580_1_吹上.pdf
 発掘報告書の名称は以下の通りである。
日田市埋蔵文化財調査報告書第70集、
吹上Ⅳ、西暦2006年、大分県日田市
教育委員会。
 発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所
は大分県日田市大字渡里・吹上・友田。
遺物が出土したのは西暦1995年前後
の事のようである。
 遺物の成立年代は、ここで話題にした
遺物は第4号甕棺墓で出土したが、発掘
報告書第62ページ付近の記載により、
弥生中期後半~弥生末とされているよう
に読取れる。西洋紀元前後であろうと私
見する。また第61ページ付近の記載に
より、副葬品が他の甕棺墓に比べて多く、
集落内での上位層の墓との旨、発掘者に
推定されたように読取れる。
 遺物の写真は、巻頭カラー写真の中に
も在るが、鮮明度で写真図版第55:
”第4号甕棺墓出土貝輪(2)・勾玉”
の最下段の方が勝っている。

吹上貝輪山泰.gif

 全部発掘されたのかどうかは、私には
不明だが。写真には15枚一組の貝輪の
写真が在り、左右からどちらも第8番目
の貝輪に、ヨゴレのような部分の中央に
漢字で「山」、左側のヨゴレの左下側が、
同じく漢字で「奉」のように書いてある
ように、本ブログの管理人には見える。
 弥生後半初頃の集落内での上位層が、
祈祷師であり生前山を奉じていた識字層
である事を、示しているように、私には
疑われる。(2024/09/11)

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