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埼玉県越谷市見田方遺跡で古墳末山泰墨書土器(長さん)

今回は、埼玉県越谷市の大昔の荒川川岸の遺跡
で、古墳期末の7世紀初成立とみられる杯土器
に、漢字で「山奉」と書いて有るような模様が
有るとの旨の紹介である。周囲に山は無く、
定型の宗教施設が存在したものと推定される。
 今回の遺物はweb上では無く、冊子の発掘
報告書に載っていると当初、本ブログ管理人に
認識された。冊子の表題は以下の通りである。
 見田方遺跡発掘調査報告書、西暦1971年、
埼玉県越谷市教育委員会。
 なお後に同じ報告書がweb上に有り、奈良
文化財研究所の発掘報告書データベース、全国
遺跡報告総覧に、登録・公開されている事も、
判った。pdfファイル名は以下の通りである。
92508_1_見田方遺跡発掘調査報告書.pdf
 遺跡の場所は、この冊子第1ページの地図
より、埼玉県越谷市大成町5。遺物が出土した
のは、発掘報告書第11ページ付近の記載から、
西暦1966年前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、冊子56ページ付近の
記載より、遺跡自体が7世紀初、古墳時代末と
見られているように、私には読取れる。
 遺物の写真は冊子の写真図版第10の最下段
の左側に在り、その写真図版ページの第9番と
の旨、ナンバリングされている。杯型土器のよ
うに見える出土物品である。

見田方遺跡山泰.gif

 上図のように、写真の右の縁の近くに、ひと
きわ濃く黒く小さく、漢字で「山奉」に見える
ような模様が有るようである。
 付近は湿地で、筑波山等が極遠くに見えるだ
けで、近くに、川が運んだ砂の丘が有る程度の
環境だとみられ、具体的に山を奉じたのでは無
て、発掘調査地点に恐らく宗教施設が存在し、
古墳時代の末には定型になった、祭祀に使う器
が出土したのではないかと、私は見ている。
(2024/10/02)

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