中尊寺境内の成「と」歩兵は成金将歩兵(長さん)
今回は、山形県天童市の天童将棋資料館発行の
「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」でもトップ
で紹介されている、中尊寺境内金剛院遺跡出土
の成一文字「と」歩兵駒とされる2枚の歩兵駒
の、「と」の字の存在に疑問が有り、更に調べ
ると鎌倉歩兵駒まで、「と」金の出現が、下る
可能性があるとの旨の紹介である。
文献は、「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」
であり、その第22ページ”1.中尊寺境内
金剛院遺跡(岩手県)”に記載の出土駒のうち、
裏面「と」墨書のものは、遺物番号第136番
と138番であり、最上段左と、第2段目左
(成書を、時計回りに90°回転させた上で)
記載である。
順に、次のような写真が在る。
上記は第136番将棋駒である。
上記は第138番将棋駒である。
第136番将棋駒に関しても第138番将棋
駒に関しても、ここでは右の画像の裏面を問題
にしている。
まず第136番だが、「と」と書いてあると
されるが私見だが「土○」と疑う。そこで、書
籍に記載の写真を強く画像処理すると、以下の
ようになる。
上図のように、まず「と」だとされた像の下
部に、
白く「将」の字が浮かび上がって来る。
そして、上記で「土」とみた部分は黒く「金」
と書かれた部分の一部のようである。
つまり、
「金○将」と○はその通りに書かれ3文字
であると私にはとれる。「金将」と書いた後に、
気まぐれないし「将」の字が擦れたので、丁寧
に、スタンプの如くに、「金・」の意図で
「○」を書いたのではないか
と疑われる。「将」の字が白いのは、ヨゴレが、
元々の墨跡で、はじかれる為なのではないか。
よって、以上の事からこの駒には、「○」と
いう記号は書かれていても、「と」の字は書か
れて居無いのではないかと、私には疑われる。
次に第138番の将棋駒の像であるが、上部
を少し薄くなるように、画像処理すると次のよ
うになる。
上図のように、従来の釈文で「と」とされた
のは、「と」の字の左部に関しては、
木目に、墨が滲んで入った為発生したヨゴレ
のように見える。
このケースには、元の像でも2つの墨跡の塊
が、元々上下縦に在り、右にややズレているが、
下の方に「将」の字が書かれている
ように見える。そこで当然、上の墨の塊は「金」
では無いかと疑って、左右が同じ位置になるよ
うに墨跡を意識的に見ると、
上の塊は「金」にも見えるように私見する。
つまり、138番は136番より更に、「と」
と書いてあるとの説は希薄である。
仮に、中尊寺境内金剛院遺跡駒に「と金」が
無く、成りを「金将」か「金・」と書いた歩兵
駒ばかりだとすると、12世紀末から13世紀
末まで「と」の字で、歩兵駒を表す遺物例は私
の記憶違いが無ければ、残りは京都の鳥羽離宮
駒位のはずであり、その次は、14世紀初めの
神奈川県鎌倉市の、鶴岡八幡宮出土の歩兵駒へ
下るはずである。
麒麟抄が、何らかの経緯で歩兵駒の成りとし
ての、「と金」書体の発明のきっかけとなって
いたという説にとって、中尊寺の歩兵駒は反例
になっていただけに、この「不確定性」の発見
は、かなり大きいように私は自己評価している。
(2024/11/03)
「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」でもトップ
で紹介されている、中尊寺境内金剛院遺跡出土
の成一文字「と」歩兵駒とされる2枚の歩兵駒
の、「と」の字の存在に疑問が有り、更に調べ
ると鎌倉歩兵駒まで、「と」金の出現が、下る
可能性があるとの旨の紹介である。
文献は、「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」
であり、その第22ページ”1.中尊寺境内
金剛院遺跡(岩手県)”に記載の出土駒のうち、
裏面「と」墨書のものは、遺物番号第136番
と138番であり、最上段左と、第2段目左
(成書を、時計回りに90°回転させた上で)
記載である。
順に、次のような写真が在る。
上記は第136番将棋駒である。
上記は第138番将棋駒である。
第136番将棋駒に関しても第138番将棋
駒に関しても、ここでは右の画像の裏面を問題
にしている。
まず第136番だが、「と」と書いてあると
されるが私見だが「土○」と疑う。そこで、書
籍に記載の写真を強く画像処理すると、以下の
ようになる。
上図のように、まず「と」だとされた像の下
部に、
白く「将」の字が浮かび上がって来る。
そして、上記で「土」とみた部分は黒く「金」
と書かれた部分の一部のようである。
つまり、
「金○将」と○はその通りに書かれ3文字
であると私にはとれる。「金将」と書いた後に、
気まぐれないし「将」の字が擦れたので、丁寧
に、スタンプの如くに、「金・」の意図で
「○」を書いたのではないか
と疑われる。「将」の字が白いのは、ヨゴレが、
元々の墨跡で、はじかれる為なのではないか。
よって、以上の事からこの駒には、「○」と
いう記号は書かれていても、「と」の字は書か
れて居無いのではないかと、私には疑われる。
次に第138番の将棋駒の像であるが、上部
を少し薄くなるように、画像処理すると次のよ
うになる。
上図のように、従来の釈文で「と」とされた
のは、「と」の字の左部に関しては、
木目に、墨が滲んで入った為発生したヨゴレ
のように見える。
このケースには、元の像でも2つの墨跡の塊
が、元々上下縦に在り、右にややズレているが、
下の方に「将」の字が書かれている
ように見える。そこで当然、上の墨の塊は「金」
では無いかと疑って、左右が同じ位置になるよ
うに墨跡を意識的に見ると、
上の塊は「金」にも見えるように私見する。
つまり、138番は136番より更に、「と」
と書いてあるとの説は希薄である。
仮に、中尊寺境内金剛院遺跡駒に「と金」が
無く、成りを「金将」か「金・」と書いた歩兵
駒ばかりだとすると、12世紀末から13世紀
末まで「と」の字で、歩兵駒を表す遺物例は私
の記憶違いが無ければ、残りは京都の鳥羽離宮
駒位のはずであり、その次は、14世紀初めの
神奈川県鎌倉市の、鶴岡八幡宮出土の歩兵駒へ
下るはずである。
麒麟抄が、何らかの経緯で歩兵駒の成りとし
ての、「と金」書体の発明のきっかけとなって
いたという説にとって、中尊寺の歩兵駒は反例
になっていただけに、この「不確定性」の発見
は、かなり大きいように私は自己評価している。
(2024/11/03)
普段将棋の駒とは縁のない私が見ると、136は左下に丸みを感じるので「土」には見えないのですが、どちらかといえば「と」に近いように思うのですがいかがでしょうか。
by お名前(必須) (2024-11-03 15:29)
お名前(必須)さんコメントありがとうございます。「土」では無く
縦に「土」+「〇」と見ています。本文「○」は「〇」の誤記です。
マイクロソフトのime辞書のバージョンが古いと、こう変換されて
しまいます。文字コードが古い事が判り、この間違いのサインは後日
便利と言えば便利なので、上記文面はそのままとして置きました。
まあ、平安時代最末期も含めて、仮名の「と」の字の第2画部分を、
円周の一部型に書いては、絶対に駄目だという法も無かった訳です
ので。「『と』が書いて在る」説も本ケース完全否定は困難ですね。
by df233285 (2024-11-04 10:13)