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福岡県博多第61次遺跡の小型将棋駒は一文字車(長さん)

今回は、山形県天童市の天童将棋資料館編集
「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」で、博多
第61次遺跡から発掘されたと第98ページ
付近下段に「99 博多第61次遺跡(福岡)」
で紹介されているうちの、下の方の将棋駒
遺物は、裏不明一文字「香口」ではなくて、
裏不明一文字「車」であるとの、別途発掘報
告書で写真を調査し直した結果の紹介である。
 遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
 pdfファイル名は、以下の通りである。
17280_1_博多.pdf
 発掘報告書の名称は、以下の通りである。
博多遺跡群第61次発掘調査報告(博多24)、
1991年、福岡市教育委員会。
 発掘報告書冒頭例言により遺跡の場所は、
福岡県福岡市博多区区店屋町182-1~5。
遺物が出土したのは、西暦1990年年初
前後の事のようである。
 遺物の成立年代は、木製品が複数出土し、
地層から13世紀後半とされているように、
発掘報告書第43ページ付近から、私には、
読取れるように思われる。
 遺物の写真は、発掘報告書写真図版第9の、
最上段の左から2番目に在り、木製品の第2
番と取れる旨、ナンバリングされていて、
冒頭に述べた天童の将棋駒と全国遺跡出土駒
の「99 博多第61次遺跡(福岡)」の下
の方の写真と、同一物でかつ同じ面のようで
ある。

博多61次香車発.gif

 上図のように、画像処理を強く掛けると、
一文字「車」であり、最終画の横棒の上部が、
汚れているようである。上部と下部を比較的
広く空け、中央に「車」と書いたように、私
には見える。
 13世紀の後半、普通唱導集成立よりも
やや遡って、持駒ルールが既に成立していた
ような形態であり、かつ、伝来駒が車とだけ
表現されていた記憶が、ひょっとすると鎌倉
時代の後半まで、博多の現地では残されてい
たように見える貴重な墨跡である。
 発掘報告書が書かれた当時は、文字を読取
るのに相当苦労したようなスケッチ図が載っ
ており、時代の変遷を、私には感じさせる。
(2024/11/08)

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