千葉県君津市上湯江遺跡で8C山泰墨書土器(長さん)
今回は、千葉県の鹿野山の麓の遺跡で古代の
井戸跡から出土した、「祭祀用」と発掘者に
見なされている土器2つに、余りに
明快に「山夲」と書かれておるものの、字同
士が接近している為報告書では「奉」と釈文
されているという、極めて明快な泰山・奉山
墨書遺物の紹介である。
千葉県の鹿野山等を奉じる祭祀が奈良時代
頃に、君津市の遺跡で行われたようである。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140879_1_ー君津市ー上湯江遺跡5.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
上湯江遺跡Ⅴ、2022、株式会社新昭和・
君津市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
千葉県君津市上湯江字若宮1488番1。
遺物が出土したのは、西暦2020年前後の
事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第104
ページ付近の記載から、8世紀の奈良時代と
されているように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
15の下から3段目中央に第30番土器が、
最下段右端に、第37番土器が有るが、特
に後者は、新品の土器の模様程度に墨書が
鮮明である。
まず第30番遺物から下に示す。

上図のように第30番土器には、反時計回り
に倒れて横に「山夲」と書いてあると、私見
する。

37番土器には、上から下へ土器を普通に置
いたときの向きに、はっきり縦に「山夲」と
書いてあるように、私は読む。
古代に千葉県の鹿野山等を、君津市の平地
から奉じる祭祀が行われたのではないかと私
見する。それにしても、きれいな古代の泰山・
奉山型墨書土器が出土したものである。
(2025/01/13)
井戸跡から出土した、「祭祀用」と発掘者に
見なされている土器2つに、余りに
明快に「山夲」と書かれておるものの、字同
士が接近している為報告書では「奉」と釈文
されているという、極めて明快な泰山・奉山
墨書遺物の紹介である。
千葉県の鹿野山等を奉じる祭祀が奈良時代
頃に、君津市の遺跡で行われたようである。
遺物の写真がweb上に公開されていて、
発掘報告書に載っている。発掘報告書が、
奈良文化財研究所の発掘報告書データベース、
全国遺跡報告総覧に登録・公開されている。
pdfファイル名は、以下の通りである。
140879_1_ー君津市ー上湯江遺跡5.pdf
発掘報告書の名称は、以下の通りである。
上湯江遺跡Ⅴ、2022、株式会社新昭和・
君津市教育委員会。
発掘報告書末尾抄録により遺跡の場所は、
千葉県君津市上湯江字若宮1488番1。
遺物が出土したのは、西暦2020年前後の
事のようである。
遺物の成立年代は、発掘報告書第104
ページ付近の記載から、8世紀の奈良時代と
されているように、私には読取れる。
遺物の写真は、発掘報告書の写真図版第
15の下から3段目中央に第30番土器が、
最下段右端に、第37番土器が有るが、特
に後者は、新品の土器の模様程度に墨書が
鮮明である。
まず第30番遺物から下に示す。

上図のように第30番土器には、反時計回り
に倒れて横に「山夲」と書いてあると、私見
する。

37番土器には、上から下へ土器を普通に置
いたときの向きに、はっきり縦に「山夲」と
書いてあるように、私は読む。
古代に千葉県の鹿野山等を、君津市の平地
から奉じる祭祀が行われたのではないかと私
見する。それにしても、きれいな古代の泰山・
奉山型墨書土器が出土したものである。
(2025/01/13)
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