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埼玉県春日部市須釜遺跡で前1C山竜墨書筒土器(長さん)

今回は、文化庁編集の発掘された日本列島/
2002に、河川際の龍神信仰と疑われる、
漢字で「山竜」と書かれたような、関東産
の筒(瓶)型出土古形土器が在るが、成立
年代が紀元前1世紀と古い上に、関東平野
の低地の、弥生時代の墓に埋葬された土器
だという、比較的珍しい例が有るとの旨、
紹介する。
 龍の絵だけで無く、弥生時代の

紀元前1世紀頃に、漢字で古書体の「竜」
と書ける、弥生人が関東平野の低地に居た

疑いがあるとみられる。
 今回の遺物は、web上に内容が発見出
来ておらず、以下の成書に記載が在る。
 発掘された日本列島/2002、西暦
2002年、文化庁。
 その第31ページに説明が、また第86
ページ付近に写真がある。
 遺跡の場所は、はっきりとはし無いが、
埼玉県東部の中川の流域とされ、砂丘丘陵
であるという事から、蛇行の少ない川だが、
埼玉県春日部市倉常付近かとも、本ブログ
では推定している。遺物が出土したのは、
「庄和町の町史編纂の少し前」との事であ
り、西暦2000年前後かもしれない。
 遺物の成立年代は、第31ページ下段の
説明に、弥生時代中期中頃と書かれている
ようであり、第86ページには約2100
年前の、紀元前1世紀ととれる旨、記載が
ある。龍絵土器の、ほぼ初見年代の頃と、
web上にも紹介されている時代と、見ら
れているように、本ブログ管理人に解釈さ
れる。
 遺物の写真は、第86ページの上段左端
のモノクロ写真であり、筒型土器と付記さ
れている。なお、前記成書の第31ページ
の中段集合カラー写真の右端の物品と形が
似ているが、表面の模様が違い、同じ物品
の、別々の面の疑いが有る。花瓶のように、
私には見える。第2号墓抗で出土したとの
旨、第31ページに記載が有る。縄文の残
る、関東か東北地方産の土器との事である。

須釜山竜.gif

 上図のように、中段少し上の膨らんだ
部分の写真の右端に、漢字で「竜」のよう
に読める煤模様が有り、同じ位の高さの左
側に、煤に埋もれているが、漢字で「山」
のようにも見える、やはり煤模様もあり、
逆に左から右に読むと「山竜」のようでも
ある。
 遺跡は河川部の低地丘の上のようであり、
埼玉県では、さいたま市でも見かけられた、
龍神信仰土器が墓に供えられたように、私
には見える。が、龍絵の最も古い時代の物
と成立年代が、ほぼ同じようであり、埋葬
した人間が、大陸から帰化した世代、つま
り、漢字が書ける人間そのものである事を、
示唆しているようにも私見される。(2025/02/07)

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