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平安大将棋の成りの謎(長さん)

 以上ののべた事から、平安時代1100年程度以降に
存在したと目される、13×13升目、駒数68枚制
の平安大将棋は、文献記録としては二中歴、史料としては、
平泉駅近く、中尊寺にほど近い遺跡より出土した、飛龍駒
一枚が対応するとみられている。平泉は奥州藤原氏の拠点
で、この藤原氏は鎌倉時代草創期に源頼朝に滅ぼされてい
るので、二中歴の成立期と同じ時代であり、それがその以
前に存在しているとみなされない、他の駒数多数将棋の道
具とは、単純に言って考えにくいからである。ただし「平
安大将棋の説明で二中歴に説明の無い部分は、平安(小)
将棋とルールが同じである」という考えと、この出土駒
「飛龍」の形状は良く有っていない。成りが金ではなくて、
「飛龍」と両面に書いてあるからである。
 興福寺の出土駒に、玉将と両面に書いたものがある事か
らの類推で、この飛龍は、平安大将棋の飛龍が不成りで
ある事を示すと解釈する意見が多いと認識している。この
事から、二中歴の著者には、平安大将棋のルールの記載に
関して、不備があるとも取れるのであるが、更に難しい事
に、二中歴の平安大将棋の記載部分に、誤写による、判読
不能部分が有って、二中歴の著者の「手抜き」と、あなが
ち断定もできないという、解明の困難さ、問題の複雑さが
このケースには存在している。つまり次のように書いてある
部分が、意味がはっきりしていない。

如是 一方如此行方准之

 駒数多数将棋の成りの論点は追々詳しく見てゆく事にし
たいが、日本の将棋では摩訶大(大)将棋と、それと成り
様が準じると仮定した場合の泰将棋では、小将棋の類より
成りが金(将)であるケースが多くなる。しかし一般には、
この二種は例外であり、むしろ全体としてみると「成り金」
駒種を、減少させる傾向があると、個人的には認識してい
る。原因の一つは、大将棋系が指される要因が、恐らく
藤原一族の外国人から見たイメージチェンジのためだった
ため、単に平安小将棋より複雑な将棋をしてみせるだけ
ではなくて「歩兵がベルサイユ宮殿の白痴の姫様のような
駒に成る」という、藤原貴族に対する、否定的な見方を
連想させないようにゲームを、作り変えたためであったか
もしれないと私は思っている。事実、藤原隆家の子孫であ
る水無瀬兼成が、安土桃山時代に将棋部類抄で、平安大将
棋の後継である、15×15升目制の(後期)大将棋を、
成りが金将になる駒を一切除いた将棋の意で注記している
のはその表れなのかもしれない。更に詳細不明だが、同期
の大大将棋では成る駒自体が少ない。
 ただし時代が下ると、ゲームとしての性能の強化のため、
成りの調節が進んで、金将に成る駒が少なくなっただけと、
明らかに見なされる例も多い。具体的には、南北朝時代以
降に現れた中将棋がその典型例であり、銀将が金将ではな
く竪行に成る等、変化は多彩である。
 さて、平安大将棋の成りの問題に戻ると。
前に述べたが私も「大将棋のルールが小将棋に有る部分は
それに準じる」というつもりで、二中歴著者は書いている
と思う。従って成りについても、歩兵と銀将、桂馬、香車、
および明らかに、銀将と類型の、銅将、鉄将、以上
1段目と、注人の下列の歩兵の駒の成りは、全部金将だっ
たと私も考える。更に、
以下私見だが、二中歴の平安大将棋の記載の、誤写「判読
不明部分」には、成り様を判定できるようにするための、
何らかの記載が有ると私も考えている。私は二中歴大将棋
の飛龍は不成りが正しいと考え、それはゲームの作者が、
人間の類では無いと解釈したからだと思っているが、結局、

飛龍、猛虎、横行だけ、不成り、他種は玉金除いて金成り
だったのではないかと私は思う。

そして判読不明部分
「如是 一方如此行方准之」には、

「その駒のすぐ後ろに初期配列される駒に準じて、駒の
性質が決められており、後ろの駒の成りを邪魔して、相手
の陣の手前で、後ろの駒の身動きが取れなくしてしまう
ような、動きの不足のある動かし方ルールの駒は、
駒が人間を表しているかどうかに係わらず、後ろの駒の動
きに準じる」と書かれ、成りも後ろの駒に準じて、金に成
るようにしたのではないかと私は思う。

このような「規定」は、小将棋では人間駒で無い、桂馬や
香車が、相手陣の奥で、今度は自身が身動きが取れなくな
るという、ルールの不自然さから、金将に恐らく成ってい
ると見るのが自然と、棋士やゲームのデザイナーにはみな
され、新たに注人と奔車も、桂馬や香車同様、金将に成ら
せたのではないかと、私が推定しているということである。
 つまり、基本的には人間とは、見なしがたい名称の駒は、
元来金成りでは、無かったのではないかと私は推定する。
なお、私がここまでに、このブログで書いた内容で、人間
を表さない駒を、基本的には金将へは成らさないようにし
ないと、変形平安小将棋の駒と、私が想像した平安時代の
酔象に、成りが無いという事実の説明はつかない。
 他方以上の事から、少なくとも、平安大将棋のデザイ
ナーは、水無瀬兼成ほどには、成り金のケースを減少させ
ようとはしなかったように、私には感じられる。平安時代
末に大将棋を藤原貴族が家訓で指したとしても、それは、
たまたま平安小将棋より、複雑なゲームが出来ていたから
であって、平安大将棋は、彼ら自体による作では、無かっ
たような心象である。
 では、平安大将棋を作成したデザイナーは、どんな経緯
でこの将棋に到達したのか。その点についても、追々考察
してみたいと思う。(2016/11/18 将棋の日)