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埼玉県古利根川流域の中世の城の捜索(長さん)

結局、昨日のべた、埼玉県北葛飾郡松伏町下赤岩の
下河辺氏城跡の候補地は、確かに鎌倉時代中期に、
下河辺氏の何がしかが居住したようではあるにして
も、遺物が出土する程度の遺跡のようには感じられ
なかったので、google地図上にて、別の候補
地を探してみた。
 結果からみると、下河辺荘や新方荘に、はっきり
と、城跡だとわかるような、道路は、残っていない
ようであった。
 ただし、地形をよく見ると、埼玉県越谷市増森と
吉川市須賀にまたがる領域に、”川にぐるりと取り
囲まれて、堀の中の城”になりうる領域が、ある事
がわかった。
 ヒントは、埼玉県越谷市と埼玉県吉川市の、市ど
うしの境界線にあった。吉川市須賀というところが、
越谷市の方に、張り出しているのである。この張り
出しは、地図をよく見ると、中川が昔蛇行していた
のを、最近になって、南北にまっすぐに、直した事
から来るのは、容易にわかる。吉川市須賀と、同じ
く、吉川市川藤の一部は、現在では中川の西岸にあ
るのだが、昔は、川が蛇行していて、中川の東岸に
有ったのである。そして、吉川市と越谷市の境が、
この、古い川の跡に沿っている。
 ただし、現在の中川の川筋も、もともと低地であ
ったために、その位置にもってこれたのだと、想像
できる。だから、この吉川市須賀という地域と、
吉川市川藤の一部は、もともとはぐるりと堀状に、
川に囲まれた、大きな中州だったのかもしれないと
思う。
 これは、ある意味ここに城があったとすると、天
然の要塞状で、あったのかもしれないと私は思う。
だから、ほかの領域よりは、「城ではないか」と
疑って、調査してみる価値も、あるいは、あるかも
しれないと、思われた。そこで私は近々、この場所
に、試しに行ってみようと、考えている。(2017/01/26)