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埼玉県越谷市には奈良県出の世阿弥で知られる能楽の施設が何故あるのか(長さん)

栃木県小山市神鳥谷曲輪遺跡付近に、室町時代に存在したと
見られる、小山市の当時尼寺、のち江戸時代には真言宗系の
男寺の青蓮寺の住職が、奈良県ゆかりの長谷川氏の子孫で
あると、前に推定したのは、栃木県小山市のこの寺からみで、
つぎのような、奈良県とのつながりが、検知されたという
経緯である旨の点を、以前このブログでのべた。

①小山市の江戸末期廃寺の青蓮寺の親寺が、奈良県出の、
奈良時代の人、弓削道教開祖の持宝寺になっており、奈良県
と繋がる。
②青蓮寺と言って、尼寺となれば、奈良県宇陀市の中将姫の
青蓮寺が有名である。
③小山氏の祖、小山政光の弟の下河辺行義の子孫に、奈良県
で長谷川へ苗字を変えたと伝わる、長谷川氏が居る。
④小山市の青蓮寺は、小山市天神町の天満宮を別当として支
配しているが、これと、奈良県田原本町の法貴寺が、池神社
という、天満宮を別当として支配しているのは、曼殊院~北
野天満宮方式で、そっくりである。

ただし、この程度なら、小山市の廃寺・青蓮寺の住職等の氏
素性を特定するには、まだ不足であろう。実は、小山市には、
まだ、奈良県とつながりを暗示させるものが、あるのである。
つまり、まず、
⑤奈良県より伝わった、下野人形がある。それどころか、こ
れも、「弓削道教が伝えた」との伝説がある。つまり「弓削
道教」という”キャラクターコード”を「奈良県人」に置き
換えれば、小山市へは、かつて、「奈良県出の人間が、
流れ込んで、持宝寺を造り、下野人形を伝えた」と言ってい
るのと、この伝説は、同じことである。
⑥地元で、古くから知られる酒造メーカーに、若駒酒造とい
うのがあり、関連蔵元が奈良県にある。それどころか、若駒
酒造の家の苗字は、初瀬川を連想させる、”柏瀬”家である。

なお柏瀬は、長谷川と、同系統の苗字である。

以上が、小山市についての将棋駒出土と、静岡県焼津市等で、
中将棋の駒を出土させている、長谷川氏との関連の項目列挙
であるが。下河辺本家の遺跡が、仮に前回のべた、埼玉県吉
川市、松伏町、越谷市の境付近で、仮に見つかったとして、
そこに、駒駒数多数系の将棋が出土すると、期待するために
は、この地域にも、小山市と奈良県との関係に当たる、吉川
市なり、松伏町なり、越谷市と奈良県との関係が、示唆され
なければならない。そうでなければ、その城跡は、存在した
としても、静岡県焼津市小川や栃木県小山市神鳥谷曲輪と、
同じ成果を狙うだけ、最初から無駄という事になるだろう。
そこで、吉川・松伏・越谷に、奈良県関連を探してみると、

越谷市花田に花田苑という、能楽堂がなぜかある

という、要素がみつかる。埼玉県内ではwebを調べた所、
能楽堂があるのは、越谷市のここだけのようである。なお、
世阿弥の出所で有名であるから、能楽と奈良県との関連性は、
自明である。
さらに、
①能と田原本町法貴寺は、たとえば近くで能面が出土した事
で、関連が有名だし、長谷川党に属するとも言う河勝が、世
阿弥の師匠であるから、長谷川党と能楽も繋がる。 また、
②能と小山市が繋がるのは、そもそも青蓮寺という名は、中
将姫の謡曲「ひばり山」そのものである。また、小山市では、
最近は「小山安犬」という新作謡曲が、上演される地でもあ
る、と以上、複数の関連付けが可能である。
そこで、
③能と越谷市が繋がるように見える、越谷能楽堂の花田苑は、
奈良県と、何かつながりがあって、作られたのかどうか、
webで調べてみた。すると、
「越谷市蒲生に、関根家という、埼玉県さいたま市岩槻区の
旧家と繋がる家があって、江戸時代から能を伝えて、越谷市
に広めていたのが、ここに能楽堂が出来た、端緒である」と、
10年くらい前の、某氏のブログに記載がある。よって結局、

越谷市と奈良県は、能では直接的な繋がりが、今の所発見で
き無いようである

という、結果になった。
 今の所、6つの要素で奈良県と強く繋がる小山市とは違い、
吉川市~松伏町~越谷市については、奈良県関連が疑われる
要素は、これ一つであり、しかも繋がりは、いまのところ明
確ではない。”越谷の能楽堂”は、まぐれの疑いも残念なが
ら、かなり強いと私は感じる。
ただし、この能を伝えた旧家とみられる関根氏の素性が、実
のところwebでは良くわからない。ので、これら埼玉南西
端部の地域と、奈良県との繋がりを、完全否定できるとまで
は、まだ行かないのだろうと、淡くは期待しているところで
はある。(2017/01/28)