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元荒川流域の城跡、埼玉県越谷市大相模不動尊(長さん)

前に「埼玉県南東部、古利根川等河川流域等に、将棋の駒
が出土しそうな、城跡を地図上では発見できない」と述べ
たが、その後、よく調べてみると、市街地の目新しい道路
に埋もれながらもかろうじて、古利根川南西部の元荒川流
域、埼玉県越谷市相模町六丁目不動橋南西地点に、道路が
方形の、城跡を連想させるところがあるのに、気がついた。
大相模不動尊と俗称される、大聖寺という寺を中心とする、
地点である。
 2017年2月11日に、さっそく訪れて見ると、そこ
は、徳川家康が、関が原の戦いのときに、戦勝祈願をした
事等で知られる、結構有名な寺であった。戦国時代から、
江戸初期に特に盛んだった寺のようである。敷地は方形で、

まさしく土塁が、かろうじて残され、砦の跡であった。

今まで古利根川付近には城が無いとのイメージの強かった、
私も正直、ようやく城らしい跡にたどりついてほっとした。
ただし、歴史は後北条氏と源頼光流太田氏(武蔵国の上杉
氏の家臣、太田道灌が有名)との間の、関東における覇権
争いのあった、戦国時代に遡れる程度で、室町時代には達
せず、下河辺氏とはつながらない。

後世に寺になったのだろうが、元々は、恐らく戦国時代に
は戦陣にも使われた館の跡のようである。

ただし、土塁は元荒川の直ぐ隣で、洪水で流れそうなとこ
ろなのに、しっかり残っている。このへんの河川の岸に、
あった城が、洪水で流されたとしても、もともと城が有る
のであれば、土塁と判る程度には、跡が残るのではないか、
との私の考えに、自信が持てる例に、やっと出合ったよう
な気がした。なお、徳川家康時代より名乗るようになった
この寺”大聖寺”には、今も各種の古文書や遺物が保管さ
れており、発掘せずとも、貴重な史料が現存すると、境内
の建て看板にて、紹介されていた。(2017/02/12)