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流行らなかった中将棋と共存する、仮想の15升目制大将棋(長さん)

 以下、あくまで私見であるが。後期大将棋というゲームは、
中将棋が全盛時代に、それまでにあったが、形骸化してしま
った、大将棋の意味・ゲーム内容を文献として説明するため
に、小将棋から中将棋の升目を外挿して、9、12、15と
いう升目数列をいわば人工的に作り出し、15×15升目
の将棋を、それらしく説明して見せたものが、現在に伝わっ
ているだけにすぎないというのが、私の考えである。だから、
後期大将棋は、もともと小駒が多すぎて、後半息切れする
ゲームであっても、実質的に、中将棋のゲーム名の由来を、
説明するために、存在するだけのものなので、ゲームと
しての出来は、問題にならなかったと言う事である。つまり、

玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車
酔象、盲虎、空升、猛豹、空升、猫刃、空升、反車
師子、麒鳳、悪狼、空升、嗔猪、空升、猛牛、空升
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛龍、飛車
歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升
(ただし以上は、6段目の左辺だけを中央から示したもの。
3段目中央隣列の”麒鳳”と表現された駒は、左辺に麒麟を、
右辺に鳳凰を配列するものとする。なお、水無瀬兼成の将棋
部類抄によると、成りは酔象が太子、麒麟が師子、鳳凰が奔
王である。)

というのが、後期大将棋の配列であるが。
 3段目の袖に、小駒が水増しされた原因を、私は、新しい
大駒よりも、新しい小駒を考える方が、楽だったから、安直
にそうしただけだと思っている。つまり、そのためにゲーム
に難が出来ても、もともと中将棋しか、安土桃山時代には、
指されていなかったため、それで良かったと、言う事である。

では、もし中将棋が思ったように流行らず、本当に大、中、
小それぞれの将棋が、平等に、まともであらねば、マズかっ
たとしたら、大将棋はどういうゲームに、しなければならな
かったのか。現在の知識から、ここではそれを考えてみよう
と思う。一例を挙げれば、次のようなゲームに、本来なるの
ではないかと思う。(ただし表現方法は、上で示した、
15升目130枚制の後期大将棋と同じく、
3段目中央隣列の”麒鳳”と表現された駒は、左辺に麒麟を、
右辺に鳳凰を配列するものとする。)

玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、石将、桂馬、香車
酔象、盲虎、空升、猛豹、空升、嗔猪、空升、反車
師子、麒鳳、白象、踊鹿、馬麟、猛牛、飛龍、横龍
奔王、龍王、龍馬、角行、方行、竪行、横行、飛車
歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升、空升

なお駒の動かし方について、曖昧なものだけ、以下補足する。
白象は大局将棋の動かし方、つまり8方2升目踊りとする。
なお、踊りは大阪電気通信大学ルールの”八方塞ぎでもじっ
との出来る、ちょびっと拡張型師子の踊り”と、隣接一升目
行きが、両方できる。つまり踊りの升目数に、幅を持たせる
タイプの事に、ここでは仮にしておく。
踊鹿も大大将棋ではなくて、大局将棋の動かし方、つまり、
”横に2升目踊る金将”とする。
馬麟は大大将棋の動かし方、つまり、”斜め前に2升目踊る
金将”とする。
横龍は、泰将棋の横龍、つまり1升目だけは後退できる、
前と横3方走りの駒とする。
方行は、大大将棋の、斜め前に行ける飛車動きの方行とする。
なお、後期大将棋と異なり、上の新作将棋では、成りも最大
限強くしよう。すると、たとえば各駒の中将棋流等の成りは、
次のようになる。ただし、鉄将は天竺大将棋の成りとする。

不成、飛車、竪行、横行、竪兵、白象、横兵、白駒
太子、飛鹿、空升、角行、空升、奔猪、空升、鯨鯢
不成、師奔、象王、方行、奔王、飛牛、龍王、走龍
不成、飛鷲、角鷹、龍馬、強車、飛牛、奔猪、龍王
金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将、金将
空升、空升、空升、酔象、空升、空升、空升、空升

(なお3段目中央隣列の”師奔”と表現された駒は、左辺の
麒麟が師子に、右辺の鳳凰が奔王に成る事を表すものとする。)

なお成りについても、駒の動かし方について、曖昧なものだ
け、以下補足する。
象王は斜めに走り、縦横に2升目踊る駒とする。
走龍は、後ろを除く7方向に走り、後ろへは5升目まで踊る
駒とする。
飛鷲、角鷹は、中将棋の動きとする。つまり跳びではなくて、
ふつうの中将棋同様、方向転換2升目踊り等が可能である。
強車は奔金の動きである。

まず、初期配列を後期大将棋の場合と比較すると、新作ゲー
ムでは、3段目を大駒で構成している。つまり、本来の小将
棋から平安大将棋、さらに私の仮定した13×13升目型の、
仮説普通唱導集大将棋、

玉将、金将、銀将、銅将、鉄将、桂馬、香車
酔象、麒鳳、猛虎、空升、嗔猪、飛龍、反車
奔王、龍王、龍馬、角行、竪行、横行、飛車
歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵、歩兵
空升、空升、空升、仲人、空升、空升、空升

からの延長で、升目を2升目増やして、自陣段は1段増やし
て5段にしたとき、新たに発生する3段目に、後期大将棋の
ように、悪狼、猫刃猛牛といった小駒を増やして作成した、
小駒列を置かずに、白象、踊鹿、馬麟といった、2升目行き
駒を増やした、中~大駒列を、上で紹介する15×15升目
142枚制大将棋ゲーム(以下”理想の15升目大将棋ゲー
ム”等と、略記)では、新たな第3段目列として、作成して
いるのである。両者を比較すると、

悪狼と猫刃に比べて、踊鹿と馬麟の動きの方が、複雑で、
考え出すのに、実際の後期大将棋より、時間が掛かりそうだ

という点は明らかだと思う。
つまり、現実には中将棋が流行らず、このままでは駒数多数
将棋は、わが国に於いて滅び去るのみという、切迫した状態
には、室町時代になった事は無かったのだと言う事を、3段
目に、動きの比較的複雑な駒を配置した、理想の15升目大
将棋が、存在しない事が、それを証明しているというのが、
私の考えである。
更に、19×19升目の摩訶大大将棋でも、更に升目を増や
して、自陣6段目配列にしたときに、新たに増やした4段目
の袖に、小駒を配列して、仏教駒は中央に留めている。
この将棋も、もし中将棋が流行らず、事態が切迫していたら、
3段目を、15×15升目142枚制仮説理想の大将棋同様
に大駒列等にした上で、更に4段目の驢馬、桂馬、猛牛、
飛龍等を、もっと強いが多少、覚えにくい動きの、中央仏教
駒類の、ルールにしていたに違いないと、私は思う。つまり、
摩訶大大将棋でも、3段目や4段目に、安易に小駒を置いて、
”楽にゲームを、作りすぎているのではないか”と、私は疑
っていると言う事だ。
 つまり以上の考察をまとめると、現実には、西暦1400
年頃までに、中将棋が発明されてしまうと、それが流行って
駒数多数将棋界は安定してしまった。ので駒数多数将棋のデ
ザイナーは文字通り、大将棋の言葉の説明のための、ゲーム
のでっち上げの局面で、駒の量を水増しするだけで済まし、
”走り駒や、大駒を増やし続けて、将棋の面白さを増加させ
よう”という、有力な駒数多数将棋がまだ無かった鎌倉期の、
大将棋建設の初期の旗印(盤升目の多い、近代の西洋チェス
の変形ゲームと実質同じ)を、ほぼ忘れてしまったのだろう
と、現在私は、考えているという訳である。(2017/03/01)