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横行の移動の原因(長さん)

両方に存在するだいたいの駒は、平安大将棋と後期大将棋で、ほぼ
似たような位置に初期配列される傾向があるのだが、同じ大将棋で
もその位置パターンが、大きく変化する駒がある。代表例は”横行”
である。つまり横行は、平安大将棋では中央中段に配列され目立つ
が、後期大将棋や中将棋では、端列の方の歩兵列下になる。しかも、
後期大将棋・中将棋ともに、竪行と対配列となり、更に後期大将棋
では、角行とも並ぶ。つまり、

横行人という意味の横行から、竪・横・斜めと3つの対からなる、
動く方向を示す語と対の、「行」の類の駒に変化すると同時に、
龍駒よりも弱いので、兵下列の端の方へ移動しているのである。

この事から「横行人」という言葉が、古代語の範疇のものであるた
め、中世の守護大名時代に指された後期大将棋の時代には、廃語に
近くなっており、言葉の古さが意味を変質させて、駒の配列を変え
たのであって、特に将棋を面白くしようとした意図ではない、と私
には予想された。
 実際にwebの情報を見る限り、世界大百科事典の「横行人」の
項から見ても、その解釈で間違ってい無いように思われる。すなわ
ち、

世界大百科事典によれば、「横行人」という言葉は、朝廷・荘園領
主が彼らの目線で使用した言語であり、それによって卑下されたの
は、中世には支配階級にのし上がった、御家人がつとめた荘官や、
悪党と言われた、のちに大名格にのし上がる者も居た、新興武家勢
力のことだった

という事のようだからである。つまり横行が、傍若無人な振る舞い
という意味もあるものの、そう批判した階層の社会的力が低下して、
言葉自体の社会的な使用頻度が低下すると、横行が「横へ行く」と
いう意味で、イメージされる傾向が強くなり、恐らく鎌倉時代中期
に角行と竪行も発明されると、その2種類の駒の類として、横行が
イメージされる傾向が、強くなったのであろう。
 つまり、古代の荘園領主が中世の守護・地頭に、主役が取って代
わられたのが、大将棋の横行の変化の原因であって、横行の位置を
変える事によって、ゲームを面白くしようという意図は無かったの
だろう。

そのため、平安大将棋が、鎌倉期に横行が角行・竪行と対になる別
の大将棋へ変化しても、より良い別のゲームを作成しているという
意識が、これによっても起こらず、ゲーム名を変える動機付けとは、
なり得なかったのかもしれないと、私には考えられるのである。
(2017/03/07)