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埼玉県越谷市船渡以外の下河辺荘新方郷館跡(長さん)

 前に、埼玉県越谷市船渡の武道具の販売店付近が「近世の下河辺荘
新方郷付近の、代官所のような道路付きである」という話をした。
近世の”新方郷の館”という事である。その後調査すると、別の場所
に、「新方氏館跡」と、目される場所があるとの情報があった。出所
は、埼玉県の越谷市郷土史研究会という団体が出版した、小冊子であ
る。
 それによると、新方氏館跡、ないし向畑館跡と称する場所が、

埼玉県越谷市船渡字屋敷前ではなく1.5km南の埼玉県越谷市向畑

にあるようだ。文献には
正確な場所は書いてなくて、略地図が書いてあり、このブログの情報
に関する確度が出ないのだが、

埼玉県越谷市向畑の古利根川沿いにある、”墓守堂”という寺院の近
くの、畑を指しているのではないかと今の所、私には思われる。

言い伝えによると、ここには川を航行していて、難破した船が沈んだ
ままになっている、というのと、戦災で亡くなった方の遺骨が埋まっ
ているという事らしい。なお、寺である墓守堂には、現在かなりの数
の墓石が立っている。遺骨の中に時代は不明だが、戦死者がおられる
と、いう事だろう。また、土器片が出るとの話が、昭和の時代にあり、
発掘調査した所、近代の陶器の破片だったという事で、古代の住居跡
との説は、否定されたということだ。

なお、このお寺の”墓守堂”付近については、私の調査は済んでいる。

私が見た限りでは、畑は整備されたためだろうか、土器片は、見出さ
れなかった。また、寺に僧侶は居無いので、遺骨は、かなり古い時代
のものだと、充分には管理しきれないで、近世以前の方の分は、散乱
する可能性が、強い所なのかもしれないと思われる。

船の残骸は、今の所私は、見かけていない。古利根川のこのへんは、
北側の川洲はそう広くは無くて、たとえば川岸に、何らかの物体が、
見つかりそうな場所では、無かったように記憶する。

なお、伝説的なこの、戦国時代の武家屋敷風の屋敷名と、難破船との
関係は、私には文献を読んでも良くわからない。また時代が、この、
埼玉県越谷市向畑の新方氏館跡の方は、戦国時代、
埼玉県越谷市船渡の新方郷代官所の方は江戸時代
であり、この2つの”新方館系跡”については、名前は似ていても、
内容や意味は違うような気がする。
 そもそも難破船があるからと言って、木製遺品の発掘が期待できる
かどうかも謎だと思うが、

現在は川のそばの陸地の土中に埋もれていて、かつ船員の遺品がしば
しば見つかるという、沈没船があるという話も珍しいので

記憶にだけはとどめておきたいと話を知って私は思った。(2017/03/20)