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埼玉県越谷市の新方氏、向畑(むかいばたけ)館跡の確認(長さん)

 2017年3月24日と25日の2日間、埼玉県越谷市向畑の
古利根川を航行した、沈没船が埋設しているとされる場所を、
ほぼ正確にチェックした。なお、関連性が、私には良くわからな
いが、そこより100m程度西に、武蔵国の源姓太田氏の流れと
言う、新方氏の戦国時代の館跡、向畑館跡があるとも言われてい
る。場所は墓守堂という、お寺の近くである。
 昭和59年(1984年)に出版された、「わが町の歴史・越
谷」(竹内誠、本間清利共著。文一総合出版)によると、昭和の
初期までは、向畑館(または、城)の、遺構が残っていたとされ、

昭和59年時点までには、開発が進んでいて、跡形も無い旨と、
記載されているが、”跡形はない”については誤りのようである。

1980年以降現在までの間に、埼玉県越谷市向畑は、東武
スカイツリーラインの大袋等の駅からはかなり遠いため、住宅は
バブル崩壊後は、めだっては建設されていないようで、開発はゆ
っくりである。そしてその間に、主に農家を営む付近住民の高齢
化が進んでいるようで、

伝説の船の埋設地は私有地で、本来畑のようであるが、耕作は、
現在、精力的には行われておらず、庭先の延長でもあるような場
所なのだが、現地はいろいろ物等が散乱して、荒れた状態になっ
ている。

恐らく持ち主に、船を掘ろうという意思があれば、特にここを発
掘しても、街中とは違って、大きな支障も無い、空いた土地状況
なのではないかと観察された。
 また、紹介した上記書籍では「新方氏の館の遺構は、すっかり
無くなった」と書いてある。確かに、館の遺構とされる、書籍に
載っている、写真の溝については跡形も無いが、土塁の一部を、
思わせる、低木の生えた盛り土が、農家の直ぐ横のごちゃごちゃ
物がある、畑の中に見出された。なおそれは現在放置され、頂上
に、噴火口のように穴が掘られ、建築資材らしきものが、穴の口
を塞がずに、その中に埋設・廃棄し放置されている。同著による
と、戦国時代、西暦1500年ころのこの遺跡跡は、埼玉県越谷
市では、”はっきりとした事象としては、最も古い史料遺跡”の
ようだが、保護の手はこれからといった所のようだ。
何れにしても、

 館跡から将棋駒でも出れば、源姓太田氏が戦国時代~安土桃山
時代に、将棋を指したという証明には、あるいはなるのかもしれ
ない。それに対して、船の沈没跡から、仮に木製遺物が出土した
ケースには、その遺物は船員の物であるから、持ち主の素性等は、
残念ながら、余り良くわからないに違いない、

とは言えるであろう。
 なお私の前の報告にも、一部間違いがあった。古利根川の、こ
の辺りの川原には、川洲が少しある。ただし清掃が行き届いてい
て、ゴミ・遺物の散乱は、このあたりには、ほとんど無い。
(2017/03/26)