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妖怪駒から割り出す、摩訶大大将棋および後期大将棋発祥の地(長さん)

さいしょに個人的な心象から結論を敢えて書くが、

私は摩訶大大将棋と後期大将棋が、京都の曼殊院内で、発明されたので
はないかと疑っている。

ただし、はっきりとした物証を、私は持たない。
そこで後期大将棋と摩訶大大将棋にあり、小・中将棋には無い「猫叉」、
後期大将棋には無いが、摩訶大大将棋の成り駒として存在する「山(乳)
母」という、2種の妖怪駒に着目してみる。両方とも、今では全国に知
れ渡っていて、この名前から、駒の出身県を推定するのは困難であるが、
伝説や文書で記録が残っていれば、無い県よりも、その妖怪はメジャー
で、大将棋、摩訶大大将棋の出身地である、可能性がより、高いとして、
以下、文献の出現県に注目して、この妖怪の記録の出土状況から、将棋
の出身地を推定してみる。

ここでは私が手持ちの、1995年に小学館から出版された、
千葉幹夫氏の「全国妖怪事典」と、徒然草のみを参照する。

 最初に、妖怪「猫叉」を用いて絞込みを行う。猫叉は有名な妖怪だが、
記録となると全国べったりではない。
まず後者の、吉田兼好の徒然草に「猫叉」が出てくるのは有名である。
よって、京都からは、猫叉が現れる文献が発掘されていると結論できる。
次に「全国妖怪事典」を見てみると、類似の「猫の怪」は多いが、尻尾
が2つに分裂する「猫叉」は、群馬県と香川県にのみ文献があるという。
ただし、群馬県の方は、江戸時代、寛政8年の”イベント”を記録した、
三好想山の「想山著問奇集」によるものなので、後期大将棋等には結び
つけにくい。香川の方は、「香川郷土研究」に、ほぼ猫叉=老いた猫の、
よく知られた内容で、記録があるという。その他、webでは、富山県
の猫叉山の記載などがある。
 次に、「山(乳)母」が出てくる県がこれに重なるか、どうかを調べ
ると、

徒然草の故郷、京都府だけが、「山母」も記録された場所である。

すなわち、「全国妖怪事典」によると、「ドルメン」という文献に、
”山姥は京都府右京区の畑に正月に現れる、いたずら好きの神様で、山
の神が畑に、人間のために作物の種を撒いた直後にやってきて、茨の種
を撒いて悪さをするという伝説がある”という内容になっている。
なお、山乳母、山姥伝説は、妖怪事典にはここも含めて、7箇所紹介
されており、京都の他には、山形、長野、愛知、島根、徳島、熊本に
分布となっている。たとえば徳島の伝説は、三好郡祖谷山地方にあり、
”山姥は、小豆3斗ほどの体重があり、山で『登山に疲れたので背負っ
てくれ』と言われても、必ず携帯する、背負い縄を短くしておいて、
断らなければならない。ただ彼女は、田を開発したり、洗濯物の取り込
みを、手伝ってくれたりもする。”という内容のようだ。その他、神奈
川県には、足柄山の金太郎の母の山姥が居る。他方、群馬と香川、およ
び富山では、この時点1995年には、少なくとも伝説は文書としては、
発見されては、いないらしい。

以上の事から、摩訶大大将棋に存在する「猫叉」と「山母」の伝説が、
両方見つかっているのは、上記2文献等を参照したのみでは、京都府だ
けである。

従って、摩訶大大将棋および、それと対ではないかと疑われる後期大将
棋は、京都府近郊で発祥したものであり、京都の曼殊院内起源と考えて
も、今の所矛盾はないというのが私の個人的認識である。
 しいて言えば、香川県と徳島県は隣接しているから、

徳島市の川西遺跡周辺も、2番目に怪しい、

と、調べてみて一応言えるのかもしれないとは思ったが。(2017/03/28)