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天童の将棋と全国の遺跡出土駒(長さん)

本日、山形県天童市と、実体天童市の研究熱心な将棋駒店組合の
合同著作、「天童の将棋と全国の遺跡出土駒」を再度見直してみ
た。
 2003年の著作であり、当時は鎌倉の鳳凰駒等だけが、大将
棋の疑いのもたれた遺物であり、中尊寺の「両面飛龍駒」も広く
は知られていなかったと、私は記憶する。12年位前に、個人的
にはチェックした記憶があるが、3月30日に再度良く見てみた。

奈良県とみられる平城京遺跡で、表面の文字が薄いものの、「不
成りの疑いのある桂馬駒」を、私は新たに見出した。

かつては、表の「桂馬」の字が薄いと、裏面の「金」は消えたの
だろうと、勝手に私は判断していた。が、このブロクを、最近始
めてからは、「桂馬の不成り駒」には、注意するようにしている。
ただし、山形県遊佐町小原田大楯の不成り不明瞭な桂馬駒も、赤
外線で、おもて面の桂馬の文字が、やっと判別できる程度だった
と見ているが、この奈良県の出土駒も、表面の桂馬は薄く、かな
り退色している。
 しかしこれと鎌倉の、これも香車の「香」の字が、やっと判別
できる程度の「不成り香車駒」とを合わせると、「桂馬や香車が
不成りの将棋」、たとえば後期大将棋の駒が、実際に存在する可
能性は、少なくとも否定は出来ないように、思えてきた。ちなみ
に私は12年位前には、「大将棋の出土駒は無い」と、勝手に判
断していた。

ただし議論が進んだ今となっては、香車や桂馬が不成りの将棋が、
具体的にどんな「大将棋」なのかとなると、実の所、この範囲の
内容では、全く定かでは無いと思う。

残念ながら、天童市等が出版した、この、出土駒が多数掲載され
ている、2003年まで出土の駒の記録だけからは、大将棋の
具体的実体、つまり普通唱導集の大将棋がどのようなゲームなの
かは、それ以上やはり絞りきれは、し無いと、再度チェックした
今回私には、残念だが感じられた。(2017/03/31)