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新安沖難破船(東福寺難破船)出土駒の裏面(長さん)

以下、持ち駒ルールの発生年代に関連する話であるため、この
ブログの流れとは少し離れるのだが、前に韓国の沖合いで沈没
した、日本の漁船に積んであった、鎌倉時代最末期の将棋駒と
して著名な、東福寺難破船出土駒の、駒の相対的大きさの様子
から、取り捨てルールを私は示唆した。その際、webの韓国
の書籍のサンプルページには、駒の裏の成り金の書体が、記載
されていない旨を合わせて指摘した。昨日も紹介した、天童市
将棋資料編集委員会編の「天童の将棋駒と全国遺跡出土駒」を
最近チェックした結果、韓国沖で沈没した、日本の鎌倉時代末
の船舶出土駒の、成りの”くずし金”についても、天童市将棋
資料館の著書には、運よく記載されている事が逐次判明した。
 その様子を見ると、一部の香車と歩兵駒に、字が消えてしま
ったものがあるものの、飛車角無しで知られる東福寺難破船出
土駒の成りは、

全部「と金」で、香車・桂馬の裏まで「と金」のようである。

なお、駒の大きさも、天童カタログからも良くわかる。
3通りしかなく、大を玉将か金将が、中を恐らく銀将と桂馬と
香車が、小の駒木地を香車と歩兵が使用しているようである。
なお、銀将は難破時消失したため、出土していないとみられる。

つまり、裏から表面の字を推定するのは、今の将棋駒より困難
な将棋具である。

よって今述べたブログの以前の見解で、一応矛盾は無さそうだ。
なお、天童市将棋資料編集委員会は、

九州大学文学部文化史研究所

が、元発行の資料を転載している。九州大学の文学部の先生が、
韓国の文化財管理局を動かして、両面同じ名前が書いてあるに
すぎないという、固定観念に凝り固まった、韓国の博物館員を
粘り強く説得し、駒を遂にひっくり返させてくれたようである。

それは重大な情報を明らかにした、日本の遊戯史研究者の大き
な勝利だった

と私は思う。
九州大学文学部の活動履歴に対し、私は心より拍手を送りたい。
(2017/04/04)