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「天童の将棋駒と全国の遺跡出土駒」の同定の厳しい駒(長さん)

天童市の将棋資料館の発行した表題のカタログは、実物写真
の他に、模写図が、だいたい並べて書いてあり、木製遺物の
鑑定の素人である私にも、たいへんわかりやすくありがたい。
 写真を見ると、長い年月の埋設によって、だいぶん字の消
えかかった駒が多く、正しい判読に、職人芸が必要な事も、
良くわかる。模写図から結果を知った上で、写真を見れば、
素人の私でも、この書籍を見ると、どう同定されたのかが、
ほぼ判る。ただし、写真と同定結果表を比べても、どうにも
判らないものが、一枚だけある。それは、京都の遺跡である、

上久世城之内遺跡から出土した、2番目に古いので著名な、
酔象駒である。

そもそもどういうわけか、この駒だけ模写の図が元論文に載
っていなかったため、天童市の上記遺跡出土駒カタログにも
載っていない。しかも、写真は片面だけであり、確か

裏不明酔象と私は、他所で聞いているが、たぶん裏面は、天
童カタログ図だけでは、全くわからない。

酔象駒の場合、最近出土した興福寺遺跡の駒の”酔象”が、
不成りと聞いているため、上記点は重要で、このカタログと
は別に、実際に調べてみる必要があると、私は感じた。
 特に、私見だが成り太子酔象は、玉将等の玉駒の、前や右
直ぐ隣の升目に酔象を置く事を、ほぼ示していると私は思う。
つまり、中将棋か朝倉小将棋かその他か、とにかく酔象が、
玉駒の隣接升目に置かれる将棋が、南北朝時代頃とされてい
る上久世城之内遺跡の時代に、存在したかどうかが判断でき
る、今の所唯一の証拠とみられる。それだけに、この出土
将棋駒の具体的な様子が、どうなっているのかに関する重要
度は、きわだって高いと私は考える。
 なお、「天童の将棋駒と全国の遺跡出土駒」の図で、この
ブログの観点からみて、正確度が必要な遺物で、不明な点が
あるその他のものとしては、小川城遺跡の成り飛鹿盲虎があ
る。すなわちこのカタログでは、写真と模写図が、左右あべ
こべのように、私には思われる。この”長谷川平蔵祖先遺跡
の出土駒”に関する私の見方が、もし間違いだと、このブロ
グの、かなり多数の記事の必要性や、その中での議論に対す
る影響度が、相当に大なため、私の解釈がおかしいと思われ
た方は、このブログのコメント欄等で、適宜御指摘し御助成
頂けると、たいへん助かる状況である。(2017/04/05)