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普通唱導集大将棋に猛牛があり、中国将棋の象と動きが対ではないか(長さん)

後期大将棋で、この将棋に有る猛牛は、その動きが明らかに飛龍と対に
なっている。斜めが縦横に変わるだけだからである。そこで、駒数多数
将棋愛好家の感覚からすると、金剛と力士が対になるように、猛牛は
飛龍と対と、頭から決めて掛かりやすい。しかしひょっとすると私の場
合、13×13升目104枚制普通唱導集大将棋を考えたとき、ここに
敗着を招きかねないレベルの、大きな落とし穴があったのではないかと、
最近考え出した。
 猛牛は私のモデルで、2段目で猛虎と嗔猪の間の空升目とした所に、
恐らく十二支の動物で、将棋の駒の名前に相応しいものは全て加えると
いうスタンスで、存在したのではないかと、疑われ出したのである。

つまり前に何回か、このブログで述べた普通唱導集大将棋の初期配列で、
2段目中央より4列目の”空升目”とした所に、そうではなくて、
猛牛が有ったのかもしれないと、いう事である。
つまり、13×13升目104枚制普通唱導集大将棋は、間違いで、
実は、 13×13升目108枚制普通唱導集大将棋が、正しかった

のかもしれないと考える。
それは、猛牛を飛龍と対駒と、頭から決め付ける習慣から来る、錯覚が
そもそもの原因であった。つまり、

猛牛は普通唱導集大将棋の場合、飛龍と対なのではなくて、中国シャン
チー流の動きを、まだ続けていた中央の”象”、つまり酔象と、対だっ
たのかもしれない

と言う事である。
よって、普通唱導集大将棋では、
酔象が2升目まで走るものの、隣接升目で止まれない象棋型斜め走り駒
麒麟/鳳凰については、
麒麟が猫叉を2回繰り返す動き。
鳳凰が縦横隣接升目動きと、それに加えて上の酔象とおなじく制限のき
つい、象棋型2升目斜め走りか、または現行の単純な2升目先桂馬跳び。
猛虎がまだ、盲虎に変わっておらず、斜め隣接升目歩み。そして、
猛牛が、上の酔象と対になる、2升目の所でしか止まれない、制限のき
つい、シャンチー(象棋)型2升目走り駒
嗔猪が、猛虎とは逆に縦横の隣接升目に行く小駒
飛龍は、その時代には猛牛の動きとは対にならずに、角行の動き。
反車が、縦2方向に走れる香車
というルールになっていて、

この順序で2段目には、駒がぎっしり並んでいたのかもしれない。こう
すると結果として、麒麟/鳳凰の所で、多少イレギュラーはするものの、
酔象、猛虎、猛牛、嗔猪と、順に動かし方のルールが、半規則的に、
なっているのではないかと、言うわけである。
 ただし、この時代の酔象も、やはり太子に成ったのだろう。でないと、
この駒を中央列に、将駒の最低位の駒と馬駒の間の、端方向列から移動
させる、理由・根拠が乏しいと、私には思えるからである。もっとも、
当時の将棋指しにも、中国象棋の象/相と類似の動きの酔象では、太子
に比べて動きが大きすぎて不釣合い、かつ、玉将の守り駒としての、働
きが弱いとは、感じられたに違いない。そこでやがて、象を前からシル
エットとして見たような7方向隣接升目動きに、室町時代の後期大将棋
のまでには、同様に盲虎に変わった猛虎とともに、対で、変更されたの
ではないかとするのが、私の持論である。
 以上のように猛牛を縦横2升目踊り駒と見ないで、シャンチーの相を
斜めから縦横に交換した走りの動きの駒とみれば、この時代に”踊り”
で問題になるのは、麒麟と成り麒麟の師子に、限定されると私は思う。
つまりそうすれば、複雑にルールを表現しなくても、

麒麟は猫叉(当時の猛虎)を2回繰り返す動き。
師子は玉将を2回繰り返す動き。

で、実はこうするとかえって混乱を招きやすい、鎌倉時代の踊りの動き
を、ルールブック上の表現としては、単純にできるというわけであろう。
以上にのべたようなルールで、実際には西暦

1300年前後の普通唱導集時代に、自陣4段まで、びっしり駒の詰ま
った、13×13升目108枚制大将棋が、指されたのかもしれないと、

現在私は、疑い出しているのである。(2017/04/12)