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普通唱導集の大将棋では、なぜ「相手飛車を退けると勝勢」なのか(長さん)

故溝口和彦さんが、”普通唱導集の大将棋は15×15升目130枚
制後期大将棋ではない”と、考える発端となった、相手飛車を退ける
と、勝勢となる理由について考える。溝口さんは「これを普通唱導集
の大将棋には、飛車以上に強い駒が無いから」と解釈し、その考えか
ら出発して、初の後期大将棋以外の仮説、彼の普通唱導集大将棋モデル
は形成された。他方、私の後発13×13升目108枚制の普通唱導集
大将棋モデルには、飛車より強い駒が有り、

溝口さんの普通唱導集大将棋と私の普通唱導集大将棋とは別型である。

当然、溝口さんとは”飛車が無くなると負ける”別の理由付けが、私
のモデルの場合には必要になる。私は、

右仲人の地点が相手の右の角行等で破られて、更には三段目右端から
2列目の横行は、討ち取られた状態で、その地点に右飛車まで消失して、
飛車の利きが無くなり、更には中盤迄に、中央3段目の竜王等が、既に
捌かれていたとすると、もともと横行のいた、空の地点に大きなキズが
でき、以下ほぼ玉が、その三段目右端から2列目の位置に侵入した、
相手の成り麒麟の師子一枚だけで、簡単に寄せきられてしまう

以上を、普通唱導集第1節は唄っているのだと考えている。
これは、最近酔象と猛牛の2升目動きを、シャンチーの象型に変更した
ため、私の普通唱導集大将棋モデルでは、もともとの右横行の地点に
加えて以下の2地点の合計3地点、すなわち、右嗔猪が動けば利く駒の
無い、もともとの右鉄将の位置と、右猛虎の上の升目の、もともとの
右龍馬の居た位置に、利く守り駒が無く手薄な箇所が出来る為である。
つまり仮に、普通唱導集時代の大将棋にも、玉将二歩動きの師子に
成れる、麒麟が有ったとすれば、相手の右横行の位置、すなわち、
12三の位置に成り麒麟を入れてしまえば、あとは、11一成り麒麟、
9三成り麒麟と2手成り麒麟を動かせば、初期7一位置の後手玉には、
王手が掛かると認識する。よって右猛虎上升目で右猛虎や鳳凰に、
只居喰いが出来る状態で、9三地点の成り麒麟の師子で、7一の位置
に居る玉将に、王手が掛かってしまうと、以下概ね後手には以後、
詰めろや王手が連続して掛かる状態になり、守りきれずに、今の
局面での後手の投了は、必然なのではないかと、私は考えるのである。
以上の事から、

”飛車が退けられると勝勢”と唄う点から更に、この将棋には成ると
師子に変わる、恐らく麒麟が、既にあると私は推定している。

右飛車が退けられ、これが最大の強さの駒だったとしても、溝口さん
の言うように、果たして勝勢とまで唄われるものなのだろうか。
「袖に麒麟が成り込まれたら負けである」というのと、「飛車を退け
勝ちを取る」とがようするに、ほぼおなじ事だと私は解釈するので
あるが、他にどのような解釈がありえるのか。今後の研究に、私として
は待ちたいところである。なお、

普通唱導集第2節は、この将棋には相手陣に突入すると師子に成る
麒麟は有っても、元からの師子は、後期大将棋と違って、無い事を
示していると私は思う。

そもそも、右も左も仲人は、師子が最初からあると、嗔猪や桂馬で、
その地点を利かせた所で、居喰いされてしまえば、相手に取られて
しまうのであり、唄われているようには、”支えられない”と考える
からである。つまり、利き駒が有れば、中段地点の”位”は守れる、
と唄うという事は、

普通唱導集の大将棋に、師子そのものは無い事を示しており、その意
味では、溝口さんの”師子の活躍に関する記載が無いのは不自然”と
いう意見と、私は一致する。

そもそも少し前に述べたように、後期大将棋には現実、その類型が
三井文庫版大将棋、中大将棋等というように、別に存在するわけだか
ら、普通唱導集に唄われている大将棋が、絶対に後期大将棋だと、
断言でき無い事だけは、確かなのではないかと、現在私は大いに疑っ
ている。ともあれ、もっと直接的な証拠の出現が、いっけんすると
全く絶望的に見える現在の状態が、本当に未来永劫まで続く事はなく、
やがて、状況が打開されるよう、今は願うばかりである。
(2017/05/04)