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後期大将棋の対局規定の問題(長さん)

以下いままでと少し視点を変え、中世の大将棋のルールではなくて
現在の後期大将棋のルール、特に全般的な成りの条件等の、”対局
規定”について、議論する。西暦1970年頃に、将棋のプロ棋士
だった故岡崎史明氏(執筆当時7段)が、冊子「中将棋の指し方」
で”本論”部を記載されていた。その出だしに、後期大将棋の紹介
があり、「西暦1967年頃に、当時渋谷に有った東急百貨店の、
『将棋まつり』で、盤駒が(恐らくは、初期配列で駒が並べられて)
出品されたが、残念ながら西暦1970年時点では、『対局規定等は
さっぱり判らない』と、(説明ブースにいた方等から)聞かされた」
と、述べている。ところで西暦2017年現在、この後期大将棋の
対局規定は、どう考えられているのかといえば、

中将棋のルールのパターンに準じる

というのが、定説のように私は理解している。では、何を元史料と
して、そう考えるケースが多いのかといえば、たとえば、水無瀬兼成
の将棋部類抄の、中将棋の駒の補足説明の、最後の部分で、

或説云居喫師子許也鳳凰仲人等行度如大象戯
等と書いてある事等によるだけだと思う。つまり、

少なくとも、この文献のより手前に記載された中将棋に、少なくとも
駒の動き等を、江戸時代の文献等を参考に口伝も含め、成り先につい
ても、現在の後期大将棋は、中将棋にぴたり合わせているのであるか
ら、現在の後期大将棋の対局規定一般は、中将棋と、同じと解釈で良
い、と2017年の現時点では、見る場合が多いと言う事であろうと
思われるのである。ちなみに、江戸時代の将棋の本は、上の一文を、
今の意味に取って習ったのか、たとえば前回紹介した、象戯図式では、
後期大将棋のルールの説明で、

駒用行小中象戯有之分畧之

等と書いてある。実は、私は前の水無瀬兼成の将棋部類抄の一文を、

”或る説によると仲人を師子が付け喰いする事が許されるという。な
お、鳳凰や仲人等の動かし方のルールは、次に述べる大将棋では中将
棋と同じとする。”
と意訳しているが、大阪電気通信大学の高見先生は、

”或る説によると仲人を師子が居喰いする事が許されるという、また
その異説では、中将棋の仲人と鳳凰の動きは、特殊な動きをする、
後期大将棋の仲人と鳳凰の動きと、いっしょだと言う。”

と訳されている。ところでここでは、問題がより複雑な、

異説が、どこの部分に掛かるのかというのが、問題なのではなくて、
”中将棋は大将棋の対局規定に従う”と高見先生が訳されたのと、
私が、書籍の構成上、
”大将棋は中将棋の対局規定に従う”と意訳しているのとで、反対で
あるという、より原始的な部分

が問題である。なお、水無瀬兼成の将棋部類抄の、中将棋と大将棋の
初期配列図での、駒の動かし方ルールを説明する赤点は、写本によっ
て、鳳凰、仲人の部分が一致しておらず、上記の正否は自明ではない。
ひょっとすると、私の漢文に対する知識の基本は欠落しているので、
基本文法に従わない私の解釈は、邪道なのかとも考えている。しかし、

私のように解釈すると、江戸時代の将書のパターンとは一致するし、
最近のwebでの”大将棋の理解のされ方”とも、一致する

ので、いっけんして不思議なのだ。
基本文法の問題なので、”如”の字の使い方を、正しく理解している
方なら、基本的に高見先生の方が正しいと思われるのだが、それが直
ぐに判る程度の、漢文の問題には違いない。しかし、水無瀬兼成のこ
の文の部分は、”大将棋の仲人・鳳凰と”の「仲人・鳳凰等と」とい
う語句を省略してしまっている訳だから、そのために判りにくくなり、
論理も水無瀬兼成が、書いた本人が、間違えてしまっていると考える
のが、私の「読み」である。実際、この部分の解釈が将来、どういう
結論になるだろうかと、大将棋の対局規定の問題も含めて、私は興味
を持って、今後の展開を見守っている。(2017/05/08)