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15筋列×14行段88枚制拡張シャンチー試作象棋は、朝鮮広象棋か(長さん)

以前今年の2月頃のことだったと思うが、九宮型のシャンチー・チャンギ
型の駒数88枚制の駒数多数象棋を、試作した事が有った。
あのゲームは、

実は当時、岡野伸さんの”世界の主な将棋”または”シャンチー・チャ
ンギ”という、彼の自費出版の小冊子でしか、紹介されていない、
朝鮮の高麗時代とも言う、朝鮮広将棋の事を知らずに、私がそのとき
試作したものだった。

その為、そのときには”将来はこういうタイプのゲームも、検討の余地
があろう”などと文末で締めくくる等、とんだ的外れだったようである。
現在では、童遊文化史第二巻の大将棋の記述により、江戸時代の文献、
倭訓栞と和爾雅に、”後期大将棋は広将棋の言い換え”ととれる旨が、
載っているとの情報が得られている。そこで後期大将棋の升目数に、
路数が14×15と近い、朝鮮広将棋はいまでは、

私によると、勘合貿易が盛んになった、室町時代前期に、日本に紹介
された結果、それまでの13升目の普通唱導集大将棋が、15升目の、
後期大将棋型に変化する原因になった、可能性のある史料と見て、
重要視する、隣国のゲーム

になっている。
ここでは、その朝鮮広将棋と私の試作した将棋が、近いのかどうかを
考え、ついで、朝鮮広将棋が後期大将棋に、江戸時代に同一視されるに
至った理由を考えてみる。
 まず、わたしが以前試作した、15筋×14段の88枚制シャンチー
拡張ゲームの駒の初期配列は、中央列から左袖方向を、相手の陣を見る
向きで示すと、次のようになっていた。

一段目を、師、仕、相、騎、馬、車、馬、車
二段目を、空、空、麟、象、空、空、空、空
三段目を、空、空、鳳、空、馬、車、馬、車
四段目は、空、空、空、空、空、空、空、空と、皆空交点。
五段目を、空、空、炮、空、炮、空、炮、空
六段目を、兵、兵、空、兵、空、兵、空、兵

と、六段組に並ぶ。七段目と八段目の間が河になって、9段目より先が、
相手の陣である。当時はチャンギではなくて、シャンチー
の試作だったので、歩兵は摩訶大大将棋の嗔猪の動きになるのは、河を
超えてからであり、それまでは歩兵の動きだった。また、師は朝鮮チャ
ンギのように官にはなっておらず、斜め動きは無いし、2段目中央では
なくて、1段目に配列されていた。九宮の位置は、チャンギもシャン
チーも同じで中央9升目である。なお、相は中国象、象がチャンギの象
のつもりであった。

ぱっと見で、麒麟や鳳凰が15×14路の古朝鮮広象棋に有ったはずは
ないから、これが、古朝鮮広象棋と、全く同じでは無いことは多分明ら
かであろう。

では、たまたまだったが、かなり良く似たというレベルのものなのか。
そこで、もう一度、
岡野伸さんの小冊子”世界の主な将棋”等で、古朝鮮広象棋をチェック
してみる。
 まず著書によると。
1.この象棋は、32枚制のチャンギよりは駒数がだいぶん多いこと。
2.本文では、盤が筋14、段15。別表では盤が筋15、段14で
  あると述べられていること。
3.内営という、九宮に当たる内陣のほかに、中軍が陣地としてあり、
  自陣内だがその外に、中軍のほかに、上軍という陣があった事。
4.指されたのは高麗時代であると、される事。
5.日本にゲームが輸出されたこと。
6.文献が雷淵集という文書であり、北朝鮮の文献である事。

が、述べられていて、貴重である。しかし、これ以上の記載は無く、ま
た、北朝鮮の文献の雷淵集に、更に詳細があるのかどうかも、不明であ
る。そこで、判っている事だけからでも、私の最近の試作品と、とりあ
えずは、比較してみる。

まず路の数だが、別表とは有っているが、岡野さんの本文とは合わない。

ただ、段が奇数になると河は作れないし、筋が偶数だと九宮が真ん中に
は置けないので、表の方がもっともらしいと、私は一応は思う。ただ、
私も試作して気がついたが、この筋数には、

中央に兵駒が置けない

という問題がある事が判っている。私の場合は、しょせん試作だったの
で、中央に無理やり兵を一つ、上で紹介したように入れ込んである。
だから

なぜ古朝鮮広将棋は、13や17でなくて15筋らしいのか

を、一応は考えてみる必要がありそうだ。なお中国の古象棋には、北宋
将棋と仮称された、11筋(恐らく)10段の古象棋があり、玉駒同士
が向かい合えないルールとの関連で、議論が行われているようだ。玉頭
の歩兵が欠けるのに、日本人ほどには、気にならないのかもしれない。
 なお、本家の朝鮮広将棋の作者の心を察するのは、難しいが、試作品
の方は、作った本人であるから、事情が判る。すなわち私の試作品では、
シャンチーとチャンギを混ぜ込んで相、象を両方入れ、八方桂馬、飛車
の数を、もとのシャンチーの4倍増させても、中央がやや、厚くなれば、
ディフェンス・オフェンスのバランスが取れるだろうと考えたのである。
そこでチャンギの象、一段あたり1つから2つづつに増やした八方桂馬
と飛車列の増加分で、9筋から6筋増えて、15筋になったのである。
 そこで、高麗時代の朝鮮半島で、私と同じような事が行われたのかど
うかであるが、八方桂馬・飛車を含む中軍を、最下段列の八方桂馬・飛
車の攻め駒とは別に作ったと解釈すれば、

中軍が3段目だったかどうかの謎は残るが、私と同じような事を、
絶対しなかったとまでは、言い切れないように私には感じられる。

少なくとも、私の試作品は、後期大将棋よりは、朝鮮広将棋にずっと良
く似ているという点までは、確かなのではないだろうか。なお、私自身
は、攻め駒が全体として袖の下段に固まっている。だから私の、試作大
型シャンチーは、後期大将棋に、似ているとはほぼ思ってい無い。むろ
ん、この北朝鮮の古将棋に関して、詳しい事が、少なくとも私にはわか
ってい無いため、私にははっきりとは言えないが、江戸時代の日本の
史料では、

筋が15升目であるという共通点だけで、朝鮮広将棋と後期大将棋が、
同一視指摘されているだけの、疑いがかなり濃い

と私は感じる。だから、

普通唱導集大将棋のように元々、大将棋は私によると13升目だったの
が、後期大将棋で15升目になった主要因は別に有り、朝鮮広将棋が、
15升目で「中国の広象棋は伝統的に15升目」というのは、大将棋を
13升目から15升目に変える、口実の一つに過ぎなかった、

と、私は今の所、考えざるを得ないのではないかと思っている。が、
古朝鮮広象棋の実体は、恐らくまだ、日本では明らかにされてい無いの
が、何とも無念である。当然だが、

大将棋の歴史に決定的に影響しない要因であるという事は、北朝鮮の
古朝鮮広象棋の実体が、より詳しくなる事によって、確定する事

である。北朝鮮からの情報の入手は、前回に述べたように、今の所日本
ではかなり難しい。私が前回の終わりの所で、この将棋の情報の必要性
について言及し、北朝鮮と日本との関係が、元寇のときの高麗国並みに
悪いことを嘆いたのは、以上のような経緯によるものである。(2017/05/31)