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なぜ平安大将棋の初期配列は、全体として”部隊記号”の凸型なのか(長さん)

小将棋では、注人や仲人駒が無いため、全体として、将棋の初期配列が長方形
になっている。それに対して、日本の昔の将棋は駒数多数将棋を中心に、いわ
ゆる六将棋、禽将棋等が、注人、仲人、燕の駒等が、でっぱりを形成するよう
に、余計に加えられている。また和将棋でも、隠狐と走兎を、入れ込んだため、
雀歩が2箇所、でっぱりが出来ている。そのためにこれらの将棋では、全体と
しては、初期配列の陣は凸型の配列になっている。これは、いっけんすると、
いわゆる部隊記号の、凸型にちなんでいるように見える。他方、ミャンマーの
将棋”シャトゥイン”のルールを見ても明らかだが、凸型配列が、ゲームの性
能を上げるための、ルールの改善の結果、必然の形だとは特にいえない。そこ
で私は、溝口和彦さんの将棋のブログで、かつて、これらの将棋のこの凸型配
列は、兵棋演習の部隊記号型の兵棋に、起源があるかのように、コメントして
しまった事があった。ところが、良く調べてみると、部隊を表す凸記号は、戦
国時代の陣形布陣を表す歴史書で、現代ではおなじみだが、どんなに古く見積
もっても、せいぜい日本では江戸時代の、しかも外国産であって、ドイツにし
か、歴史が遡れないという話が、webに出ている事を知って、困ってしまっ
た。特に一番古い平安大将棋に、注人の”でっぱり”がある事を、説明できない
点が、深刻で有る。残念ながら、

この問題については、現在回答が出来ない状態である。

 この記号が中国の古代の兵法書に、絵解き図として使われていても、特にお
かしくは無いような気も、個人的にはする。だが、部隊を表す凸記号が、戦争
時の作戦シミュレーションとして使われたのが、日本では江戸時代のプロイセ
ンで始めてであると、中国系サイトにも、どうやら書いてあるようだ。つまり、

兵棋演習の駒の形から、たとえば平安大将棋の、凸型配列モデルが作られたの
ではなくて、チェスの類が最初に有って、それが発展して、部隊記号型の兵棋
を使う、兵棋演習が出来た

というのが、定説のようだ。つまり、平安大将棋が成立した時代には、兵棋演
習の”凸記号”は、存在しなかった疑いが、残念ながら今の所、濃いと言う事
になる。
 しかし古代中国では、戦争の始まりは、平安時代に比べて極めて古いから、
凸記号が、中国では絶対に発生しないとまでは、いかないのではないかと、私
は今でも、諦めきれずにそう考えている。特に私の場合、私の13升目108
枚制普通唱導集大将棋の配列の輪郭の内部に、駒がびっしり充填していて、兵
棋の駒の形、そのものであるため更に深刻だ。ようするにこの問題については、
現時点で私にとって、個人的に暗礁にのりあげた状態にある。しかたがないの
で、ときを見て、更に詳しく調べてみるつもりでは居る。(2017/06/18)