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なぜ今の天文マニアと違い、囲碁が打てると持統天皇に好かれたのか(長さん)

何回か前に、私は囲碁の日本に於ける起源に関し、奈良時代の少し前の
持統天皇の時代に、日本で定朔の儀鳳暦を採用すべきかどうかを判断する
ため、月の視位置の観測が不可欠となり、恒星の並びを即座に判断する
練習の一つとして、囲碁が推奨されたのが、原因ではないかと述べた。が、
この仮説には、更に突き詰めると、次のような難点が浮かぶ。すなわち、

現代の天文マニアが通常、「星座に詳しい」のは、囲碁が上手になるよう
な感覚が、備わっているからでは特段無い

という事である。つまり恒星の配列の把握に慣れるのに、囲碁の局面把握
の感覚は、特段必要とは、通常特に指摘されたことは無い、という事であ
る。それは、戦争をする最中、戦略を練る時に、少なくとも雰囲気として
役立ちそうな将棋とは、かなり違う点である。そこで私の推論が、おかし
いのかどうかを、ここでは再度問題にする。結論を書くと、

西洋の星座と中国の星座とは、具体的に性質が大きく違い、後者は抽象的
で、名前で意味する人や物の形を、星の並びが象徴する傾向が少ないため、
現代の「星座に詳しい」とは、条件が大きく異なるのではないか

と私は考える。西洋の星座は基本的に、並びの形を、名前で示した人なり
物の形に、見た結果として、その名前で呼ぶという、性質のものである。
しかし適当に、天文学史の書籍を参照すると明らかだが、中国流の日本で
朝廷が用いた星座は、天を宮中に見立てて、帝を中心に、星の幾つかの束
に、具体的な物の形との類似性は二の次にして、多分に無理やりに、役職
名等を割り当ててたような、命名法になっている。つまり星座の形を見て
も、名前と自明な対応が、中国流の星座にはほとんど無いのである。つま
り、形は抽象的で線で、恒星を繋いでも、その形には、たいてい見えない
ものなのである。その為

抽象的で、具体的な物の形には必ずしも結びつかない、幾つかの星の束の
配列を、なんらかの意味付けをしながら暗記する能力

が、西洋流の現在用いている星座を覚えるのと違い、西暦700年より
少し前の、月を観測する役人には、強く要求されたと考えられるのである。
 だから、囲碁のゲームを、私のようによく知らない者が、「この形では、
死んでいるとか生きている」とか言われても良くわからない、囲碁の石の
「この形」の配列を、多数暗記する能力は、中国式や、日本でも江戸時代
になると、幕府の天文方によって真似られた、官製の日本式の星座に
”詳しくなる”ためには、すこぶる適した能力と、当時は見られたと、
考えられるのである。
 なお蛇足だが江戸時代になると、民間の特に船乗りは、形が具体的に
名前の物といっしょになる、メソポタミアで生まれた西洋星座と、同じ
ような感覚で、星の配列を名前の形で呼ぶ、いわゆる「日本の星」も、
古典的な「すばる」のような少数例に加え、多数生じたと聞いている。
 以上のように、少なくとも飛鳥時代の日本では、西洋の88星座では
なくて、中国流のもっと形が抽象的な星座の中に居る、月の位置を観測・
把握する能力が必要とされたために、囲碁が匠に打てることは、やはり
”日本の中枢の意向に沿う”役人の個別能力と、その当時は見られていた
のではないかと今の所考えて、誤りは恐らく無いのではないかと、私は
見ているのである。(2017/06/21)