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中将棋の作者は、どうして偶数升目将棋が作れたのか(長さん)


中国・朝鮮半島の象棋の歴史記録が、岡野伸さんの自費出版した、世界
の主な将棋に載っている。それによると、シャンチーやチャンギの類で、
筋数が偶数路のものは、”原始象棋”以外には載ってい無い。また、日
本の将棋についても、恐らく中将棋を作成した、南北朝時点で、原始平
安小将棋以外には、偶数筋の将棋も無かったのではないかと私は考える。
これは、後期大将棋が、中将棋ができる以前に、存在しても後期大将棋
は15筋升目なので、同じことである。大将棋の謎と、これも少し外れ
てしまうのだが、この中将棋の謎についても、以下簡単に触れる。結論
からすると、

14世紀の時点で、ヨーロッパのチェスに近いゲームの情報が、伝わっ
ていた

と私は推定する。なお、私流の考え方で、なぜ中将棋が12筋になるの
かと言えば、

元からそうである師子を加え、角行をより下段に退けさせると、
13×13升目108枚制普通唱導集大将棋は、必然的に12筋になる

のである。
つまり普通唱導集で、嘲って(あざけって)唄われている、定跡発生に
関与した駒のうち、角行を、大駒列である3段目から排除するという、
アイディアに気がついたから、大・小のほかに、日本には、大将棋より
盤升目の少ない、中将棋が発生し得えたのだと私は考えている。
しかし、ここで問題にしているのは、

偶数升目だと、玉将をちょうど中央には置けないが、副官駒と並べれば
よいと、中将棋の作者は、誰に教わったのだろうか

と言う事である。むろん南北朝時代まで、8升目型の原始平安小将棋の
記憶が、残ってたとすれば、話は簡単だが。
 そうでないとか、また、私の現在ここで主張している説が、潰れたら
どうなるのだろうかと、ひとごとなのであろうが、考えてしまう。一番
簡単な解決方法は、

チェスのような升目のゲームも、日元貿易時に、鎌倉時代末期までには
伝来していて、偶数升目の外国のゲームを、日本人の特に、ゲームのデ
ザイナーは知っていた、と仮定する

事だろう。前回述べたように、元代の大陸との情報交換は、結構盛んで
あったようだから、マルコポーロの日本伝説も、ぼんやりとだろうが、
ひょっとすると、日本には伝わっていたほど、だったのかもしれない。
当然、日本人でも教養のある人間は、とんな国に分かれている等、詳し
い事は判らないにしても、日元貿易が存在して、書籍が輸入されている
以上、ヨーロッパが存在する事自体や、シャトランジ型の8升目ゲーム
が、存在するとだけ程度までなら、南北朝時代には判っていた可能性が、
かなり高いように、私には思われるのである。だから、中将棋のような
偶数升目の将棋も、発生できたのではなかろうか。外国の情報の、わが
国への流入が理由で、中将棋が12升目になった可能性は、かなり高い
と私は考えている。(2017/06/25)