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普通唱導集大将棋にはなぜ、元からの師子が無いのか(長さん)

私が13×13升目の普通唱導集大将棋を考える際、師子は麒麟の成りにしか
存在しないと考えた。しかし、師子の動きが、発明されているにも係わらず、
元からの師子の駒が存在しないと仮定するのは、普通唱導集にそれが、言及さ
れないという理由を挙げたとしても、恣意的ではないかとの、批判もあるかも
しれない。事実、将棋研究家の溝口和彦さんは、最初も成り駒としても、師子
の存在は論外と、考えておられた。この点について、私は少なくとも現時点で、
次のように考えている。すなわち、

普通唱導集大将棋の時代にも、元から師子の駒を、棋士は誰でもイメージでき
た。が、それが有ったとして直ぐに互い取りされると、当時は決めて掛かられ
ていた。そのため、麒麟の成りにしか存在し無いのは、不自然とは誰も考えな
かった

と、私は推定する。つまり、師子に関する特別な規則がイメージできるように
なったため、元からの師子駒が、中将棋になって、初めて使われるようになっ
たのだと、私は推定すると言う事である。
 従って、私は師子が存在する、12升目制中将棋が出来た時点で、ほぼ、そ
れと同時に、「取り返される師子は師子で取る事が出来ない」というアイディ
アを根本とする、”師子に関する特別な規則”の骨格は、出来ていたのだと、
推定している。
 つまり普通唱導集の作者でさえも、鎌倉時代中後期には麒麟の成りの師子が、
独立に元から存在する将棋を、イメージは出来たが、その将棋の師子は直ぐに
交換されて、元から存在しないに等しい駒と考えられたため、敢えて師子を、
彼が作った将棋には、加えなかったのではないかと、私は考えているという事
である。(2017/06/28)