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将棋・象棋・チェス型ゲームが中国起源ではない根拠は何か(長さん)

表題は、本ブログの趣旨からは、かなり外れるのであるが、2013年版の
増川宏一氏の「将棋の歴史」平凡社を読んで、最も気になった部分が、表題
だったので、コメントする。表題の件は、日本将棋が何処から来たのかという
問題と、しばしば、対で論じられる事があるように、私は個人的に認識して
いる。以下、あくまで私見だが、しかし

将棋・象棋・チェス型ゲームが中国起源であるかどうかと、日本将棋が中国
から来たのかどうかという事には、ほとんど相関性が無い

と私は思う。つまり、”誰が将棋・象棋・チェス型ゲームを発明したのか”と
いう問いに関する答えは、”日本の将棋は、外国が出所として、どこから将棋
が入ったのか”という問いに対する答えとは、設問が全く別なので、当然違う
だけでなくて、どちらも中国になったり、どちらも中国では無くなったりする
ような、いわゆる相関関係が、原理的にほとんど無いと私は思っている。今回
はよって、前者についてだけ考えている。
 そこで、以下まずは私見を書くが、

中国で将棋は発明されたとしても、独立な後発の発明である。根拠は隋王朝の
時代に、中国で象棋類の存在を示す、確かな情報が無い事

だと考える。なお中国には六博というゲームがあったとされる。がこれは象棋
の類では無いと私は、盤を見て思う。根拠は、中国で出土した六博の盤には、
升目ないし、メッシュの線が見当たら無いからである。六博は、一定の規則で
駒を、何がしかの場所から、どこかへ移動させるゲームのように、私には見え
る。が、特定の種類の駒それぞれについて、駒の動かし方に関する、規則的な
ルールが存在しそうな、遊戯盤を、用いている形跡が感じられないと、私は思
う。なぜなら、駒の停止場所の規則性が無さすぎであり、駒種個々に、動かし
方のルールを、作らなければゲームが、面白くならないようには到底思えない。
停止場所が、いろいろランダムに配置されていることに、恐らく特長のある、
ゲームなのではないのだろうか。従って、六博は将棋・象棋・チェス型ゲーム
では、恐らく無いのではないか。

他方私は、2人制チャトランガは、西暦600年頃に北インドには存在したと、
認識している。

従って、将棋・象棋・チェス型ゲームが中国で、新規なゲームとして、人為的
な取り決めであるにしても、誰かに初めて考え出されたとしたら、隋の時代の
文献に玄怪録のような、象棋の存在を匂わせる証拠が、出て来なければなら
ないと私見する。
 そもそも、以前述べたが、唐の時代には中東アッパース朝には、チャトラン
ガの玉駒と副官駒との関係をやや進化させた、千夜一夜物語にもある、
シャトランジは存在したのではないだろうか。また長安には、中東の人間の街
が、出来ていたと私は認識する。そのため、中国・唐王朝の都、長安で、当時
の中東の将棋が、指されていないとしたら、相当に不自然な話だと考えている。

何れにしても、国際都市長安でシャトランジを、中東・イスラム教徒が指して
いるときに、玄怪録を書いても、その著者が将棋・象棋・チェス型ゲームの
発明者とは、当然言えないと、よって私は断定する。

何故なら、その象棋の中国での発明は、チャトランガのインドでの発明よりも
遅いからである。せいぜい有っても、独立にチャトランガ的なゲームを、その
発生よりも、かなり遅れるものの、中国でも独立に考え出された可能性は、
依然残るという事なのではあるまいか。
 以上の事から、隋王朝以前の時代の、象棋の情報が、少なくとも日本には、
余り入ってこないため、日本の遊戯史の研究者には、将棋・象棋・チェス型
ゲームが中国起源であるとは、余り思われない要因が、偏見ではなくて、
根拠をある程度持って、きちんと存在する事だけは確かなのではないかと、
現在の所私は考えているのである。(2017/07/06)