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日本の将棋が、中国の中原起源で無い根拠(長さん)

前回、将棋・象棋・チェス型ゲームが、中国で発明されたとしても、それは
後発発明であり、それ以前に、インドにチャトランガが存在したと、述べた。
そこで、今回はそれと切り離して、日本の将棋が、中国の中心部、”中原”
で指されたと、出土駒から推定される、シャンチー起源で無い根拠について
考えてみる。
 この問題を考える際の重要な事実は、倭名類聚鈔に、将棋の記載が無い事
である。つまり西暦930頃には、日本に将棋が存在しないという点である。
それに対して中国では、当時シャンチーが成立しつつあった時代だったよう
で、930年と1070年程度の中をとって、西暦1000年頃には、岡野
伸さんの「世界の主な将棋」の、チャンチーの歴史部分を読む限り、伝来し
たとすれば、中国の象棋は、次のようになっていたようである。

1.河があり、兵が川を渡ると、歩兵の動きから、後期大将棋の鉄将の動き
に、変化した。兵の初期配列は、もともとその当時から4段目であった。

2.駒が円筒形の抽象的な形に変化しており、日本の将棋のように、先尖り
の奇数角形ではなくて、水平断面が円である円筒形であるため、敵味方を、
ただちに正しく見分けるのに、色分けが必要な状況になって来ていた。

という事のようである。また日本に、将棋が伝来した時点で、シャンチーは、
3.線の交点置きが、既に変化して、大勢だったのかもしれず、

従って、
4.九宮ルールについては、日本に伝来からほどなくして、完全に成立した
ように、読み取れる。

更に、個人的には以下も、重要と思われる。すなわち、
5.兵器として発明された時代が、唐末である点から考えて、砲駒は、伝来
時前に導入されていて、升目ないし交点が、11筋10~11段升目または、
路になっていた。

また、
6.砲駒が存在する必然的結果として、兵駒が1筋おき配列になり、今の
シャンチーより一個多く、片方に6個有ったが、日本の将棋流に11個では
なかった

と言う事のようである。この事から、日本へ伝来して、わが国の将棋となっ
たゲームが、以上のような中国の、西暦1000年頃の、中原で指されたプレ・
シャンチー的な象棋で無い事は、

特に2の円筒駒が使われない事、5の砲駒の非存在、6の兵の列筋一つおき
配列ではない事、1の河ルールの存在と歩兵の位置が高い事

から、確かだと私は考える。なお、増川宏一氏は、2013年版の「将棋の
歴史」で、3の交点置き、4の九宮ルールも強調され、5の砲駒と6の兵の
一つおき配列については、省略されている。確かに、中国のシャンチーは、
上の項目では、4の九宮ルールと5の砲駒の加入で、ゲームの性能が大きく
改善されるが、岡野伸さんの「世界の主な将棋」で紹介されている、「中国
象棋史叢考」(朱南鉄氏著書)を参照する限り、それほどまでの、
西暦1000年時点での、シャンチーの特徴的進化は、期待できないように、
私には、”岡野伸著書”からの又聞き程度の、収集では読み取れた。そして、
他方上のように1.2.5.6.の4点だけの違いが有れば、日本の将棋へ
の進化とはかなり相容れない特徴が、有ったと思う。つまり日本に入ったと
して、名づけるなら「原始シャンチー型11筋10段32枚制小将棋」と、
するとして、

この原始シャンチー型11筋10段32枚制小将棋から、9×9升目36枚
制標準平安小将棋へ進化する事は、ほぼ絶望的な差があった

と私は考える。特に、このプレ・シャンチーは、砲を大駒にしているため、
平安小将棋へ変化すれば、退化であり、飛龍が大駒の平安大将棋とは、進化
の方向が違う。なお、砲駒の存在に気がついた後世のデザイナーは、恐らく
15世紀以降に、天竺大将棋を作成しているから、”砲”駒が、日本人には
理解できないので、取り除くとも推定できない。
 他方増山宏一氏の”将棋の歴史”に書かれている批判のうち、

3の交点おきや、4の九宮ルールは、”まだ、そうなっていなかったのだ”
という反論が、中国伝来派には許されると、私は今の所考えている。

 ちなみに、2の円筒形の駒という性質は、色分けをしさえすればよい訳で、
色分けできない理由を、強いて考えでもしない限り、五角形に変える理由が
無い。つまり、正八角形にアレンジしたとは言え、朝鮮半島で成立したチャ
ンギは、偶数正角形駒型かつ色分けで、明らかにシャンチーを継承している。
以上の点から見て、この2の円筒形への進化という、シャンチーの性質は、
私に言わせると”砲”が有るよりは、”打撃”が少ないが、ここから日本の
将棋が生まれるとすれば、これも不自然な改変とは言えると思う。また、1
の河だが、これは兵駒を少なくしたために、十字走りの車駒は、兵を動かさ
なくても前出しできるようになり、結果兵を動かす確率が減ってしまって、
面白くなくなる弱点を、兵の敵陣突入までの手数を減らす事によって、補う
調整だと思う。つまり砲駒が存在する事が、回りまわって、それに付随して、
必要になった調整のように、私には見えるという事である。
 以上から総合的に判断すれば、日本の将棋は、やはり中国中原起源のゲー
ムでは無いと、私はほぼ断定して良いのではないかと思う。(2017/07/07)