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日本の将棋で玉将が、金将・銀将より上である理由である、玉の産地(長さん)

日本の将棋で玉将が一番上なのは、大理国では金・銀・銅は取れても、玉は
輸入品であり、大理国国内で、最も値打ちのあるのが、玉であったため、と
言うのが、私の持論である。ところでこの”玉”であるが、正確には何を指
すのか、私は恥ずかしながら、最近まで、きちんと調査した事が無かった。
 なんとなく、ミャンマーあたりに産する翡翠を、雲南まで運んだのかと、
思っていたが、調べてみると、これは日本の近世の頃の、中国人の発想で
あって、将棋の起源を考える上では、明らかな間違いであった。中国では
北宋時代、

玉は、和田玉または、古玉と言われる鉱物、ネフライトを、指した

という事である。
なお、和田は”ホータン”であり、シルクロード上、インド・パキスタンの、
カシミール地方に近い、現中国の西方辺境の都市の事である。
雲南省の大理市からここへは、いったんチベットのラサまで、山岳路を行き、
ついで、シルクロードを大きく北東に迂回してから、西方へ向かって、中国
大陸を1/2程度東西に行くと、ようやく到達したらしい。北宋の都からも、
大理国の首都大理市からも、何れもホータンは、著しく遠い所である。従っ
て、ここからの玉将原材料の、雲南省への輸送はまさに、北宋にとっても、
大理国にとっても、当時は外国品の輸入の概念、そのものだったに違いない。
 恐らく、大理国でも王侯貴族が、原始平安小将棋を指す時には、ホータン
から直輸入して彫刻して作成した、超一級品の玉将立体駒を使ったのだろう。
それが、外国原材料の輸入品である事は、当然大理国では常識だったので、
玉将が取られたら、負けのゲームになる事に、誰も違和感が無かったに違い
ない。従って、玉将が一番上の将駒である事から、日本の将棋の起源は、新
疆ウイグル自治区からは、かなり遠いところであると、推定もできる。そし
て恐らく、日本へ最初に輸入された、藤原摂関用の贈答品にも、ホータン玉
の加工品が、玉将駒として当然使用されたであろう。以下、個人的にだが、

「金・銀では無く、玉が最高位のゲームなのは何故なのか。」との、平安時
代、西暦1010年頃当時の大宰府外国輸入品担当役人の質問に対し、
「大理国でも玉は取れず、遠くから運んで、加工するため、金・銀より高価
なのだ。」と答える、北宋交易商人のセリフが、まるでその時代の、大宰府
を舞台シーンとした、テレビの大河ドラマの役者のセリフとして、聞こえて
来るようだと、

私には感じられる。つまり日本将棋で玉将が金将の上に立つのは、これ
以外に理由が考えられないと、私には思われるのである。(2017/07/13)