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マークルック。何故、種・根駒が仏塔なのか(長さん)

タイの象棋マークルックでは、日本の平安小将棋の玉駒、副官駒、銀駒、馬駒、
車駒、兵駒に当たる駒が、それぞれ、君、貴族または種、象または根、馬、船、
兵または貝であると聞いている。ところが、駒の形が意味するものは、馬駒と
兵または貝駒を除いて、”仏塔(パゴダ)”であり、君、貴族、象、種、根、
船とは相当に違う。ほぼ同じなのは、馬駒が馬なのと、貝駒が確かに、コイン
なので、貝に近いという点だけである。では、なぜ君、貴族、象、種、根、船
は、仏塔で表現されているのだろうか。以下、私見であるが、理由は以下のよ
うに、2段階で説明されると考える。

もともと、タイのマークルックの、イスラム・シャトランジの影響の少ない、
第一成分である、タイ族原始マークルックでは、君、貴族か種、象か根、船駒
が、君、上級貴族、下級貴族、車、に近い概念で、認識された時代があった。
もっとはっきり言うと、玉将、金将、銀将、車(しゃ)と、呼ばれていた。
だから、駒形で表すとすれば、菩薩立像型、菩薩立像型、菩薩立像型、モンゴ
ル将棋の荷車型で、表現すれば写実的であるような、ルールであった。以上が、
第一段階。

そして、第二段階は、仏教の催事具の、以下の特徴から来るのだろう。確かに、
仏塔は墓石の類に近いものであり、仏像とは明らかに異なる物体である。しか
し、信仰の対象としては近いものである。それだけでなく、駒の形の抽象化が
起こると、仏塔の頭頂部の楕円形の部分は、人の頭のようにも見える。そのた
め、イスラム教の影響を受けて、タイのマークルックの駒が、抽象化した駒を
使用するようになると、仏の立像と、仏塔(パゴダ)が混同されて、本来、君、
貴族か種、象か根、船駒は、玉将、金将、銀将、車(しゃ)であったため、そ
れぞれ菩薩立像型、菩薩立像型、菩薩立像型、モンゴル将棋の荷車型で、表現
すべき所を、仏塔、仏塔、仏塔、モンゴル将棋の荷車型で、表現するようにな
った

のではないか。以上が第二段階である。そのうち、車駒もモンゴル将棋の荷車
型や海端でゲームが指されるようになったため、変化した船も形が煩雑なため、
どちらにしても、平たい仏塔型で、たまたま表現するようになったのであろう。
なお、タイ人が大理国に住んでいるときに、象ではなくて銀将駒を使っていた
のは、中国の雲南省では、象が余り活躍していなかったためだと、私は推定し
ている。逆に、大理国では中央集権制が緩んで、日本の安土桃山時代並みの、
豊臣、徳川、毛利、上杉景勝・・的な集団自治体制の類だったのであろう。将
駒は、君主もそれに加えないのなら、本来金将一種のはずだったが、大理国で
は、君主とは言うものの、それほどではない玉将、金将、それに銀将の3種に
なっていたのである。
 だから、それらが本来は、造形として菩薩立像型で表現されるべきものだと
すれば、和田玉、金、銀、銅、鉄、石、木等、いろいろな材料で作成されてい
た仏像・将軍像と、材質が同じで、金、銀等、いろいろある仏塔と、駒の形が
抽象化してどちらにも、取れるようになると、菩薩立像型から、仏塔型へ、混
同され変化したに違いないと、私は思う。
 そのあと、イスラム・シャトランジに寛容だった、モン族の、原始マークル
ック第2源流の影響を受けて、名前も、玉、金、銀が、君、貴族、象、に替わ
り、更には、君、種、根とも、呼ばれるようになったのではないか。
 以上の事から、マークルックの駒の仏塔(パゴダ)は、この将棋の原始、
第一成分(タイ族成分)が、日本の将棋と駒の名称が、ほとんど同じであった、
大理国の将棋起源である事を、証拠付けているものと、私は推定するのである。
(2017/07/15)