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四人制生成期二人制チャトランガの定義(長さん)

前回、チャトランガの副官の駒の動かし方のルールを推定した。が、その後
大内延介日本将棋九段の「将棋の来た路」(1986年)をチェックして、
この言い回しだと、現在のインド・チャトランガと、ごちゃ混ぜになり、
表現として、良く無い事に気がついた。なお、大内九段の紹介によれば、
現在、インドでチャトランガと呼ばれているゲームの、駒の動かし方のルール
は、ほぼ、マークルックの対応する駒の動きと同じである。
 それに対して、増川宏一氏の「ものと人間の文化史・将棋Ⅰ」(1977年)
の四人制シャトランガの駒の動きは、象駒が角行、馬駒が日本の桂馬、車駒が
猛牛に類似であり、

両者は大きく異なっている。

なお、最近の研究では、4人制チャトランガは、日本に将棋の記録が出始める
少し前の、10世紀頃の2人制チャトランガからの分岐と、見られている。
そして、前回のべた、私の「チャトランガ」は、その4人制のチャトランガを、
生み出した、

恐らく「9~10世紀ころのチャトランガ」をイメージしていて、より後世と
見られる、将棋の来た道紹介の「今に残るチャトランガ」とは別

である。そこで、今後は混同を避けるために、表題のように、私の表現する
チャトランガを「四人制生成期二人制チャトランガ」と、呼ぶことにしたい。
私は、増川宏一「将棋Ⅰ」の記載から、玉駒が玉将の動きで、副官駒と玉駒を
同一視する事によって、2人制から4人制が発生したとすれば、

四人制生成期二人制チャトランガの副官駒は、玉将の動きで、取られても勝敗
に関係の無い、近王とか、前牛とか、熊目、毒狼のような動きとイメージした

のだが、正確なルールについては、更に調査してみないと、何ともいえない所
だと思う。なお、増川宏一「将棋Ⅰ」によると、日本に将棋が伝来した頃の、

少し後、11世紀のチャトランガでは、象駒の動きが角行ではなくて、銀将の
動きと目撃された

とも言う。インド・チャトランガの駒の動かし方ルールは、安定的なものと
は考えられていないようである。従って、

たまたま、チベット・ラサ経由で中国雲南に入った、後に日本に伝来する事
になる分岐は、象駒が副官駒よりも少し弱い、後に銀将になるべき素質を、
たまたま供えていた

のかも、しれないとは考えている。が、これも更に調べてみないと、何とも
言えないとの心象を、今の所同様に持っている。(2017/08/04)

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