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増川宏一「将棋Ⅰ」記載の四人制チャトランガのルールは、2人制の転用(長さん)

増川宏一氏の1977年版の「ものと人間の文化史 23-1 将棋Ⅰ」
法政大学出版局に、現在ではインドの11世紀のゲームであると、されて
いる四人制チャトランガの駒の動かし方ルールが、紹介されている。

象が角行、馬が日本桂馬、車が跳ぶ猛牛である。

玉は玉将、歩兵はチェスのポーンだが、最後の2つについては、さして
大きな問題は無いと思う。問題は、1段目端3列駒であるが、このルール
は、良く考えてみると、なぜか

4人制チャトランガの駒の動かし方ルールとしては、最悪のパターンを
選択している

と、私は思う。

象と車が、筋違いのため、対面の玉に当たらず、馬は、実質、自分の左側
に居る、プレーヤーの馬1枚を狙っているにすぎない

からである。増川宏一氏は、著書の中で「対面同士のプレーヤーが、連合
を組むという、欠点がある」と、四人制チャトランガの弱点を、評してお
られる。以前は、四人制であるから、いつもそうなるのかと、漠然と私は
考えていたのだが、この四人制チャトランガの欠点は、

駒の動かし方ルールを、たとえば現代に伝わる、インド・チャトランガ
ルール、象を銀将、馬を八方桂馬、車を飛車にすれば、かなり良くなるの
ではないか

と、私には疑われ出した。
 逆に言うと、この四人制用にマッチしていない、西暦1000年頃の、
四人制チャトランガの「角・桂馬・猛牛」ルールは、

西暦900年から西暦1000年頃の、インドの二人制チャトランガの
個別の駒の動かし方ルールの、単なる転用

である事を、示しているのではないかと私は疑う。二人制ならば、象、
馬、車駒は、左右で互いに筋違いになるので、対面の競技者と、連合を
組む気には、ならなくなるからである。
 何れにしても、「将棋Ⅰ」に記載された、チャトランガの駒の動かし方
ルールの変遷部分と、アラブ・シャトランジのルールを記載した、アラブ
の古文書の年号情報を、WEB等で、増川宏一著「チェス」2003年の
記載内容情報として、比べてみた限りにおいては、四人制チャトランガが
インドで発生した西暦1000年前後時点で、アラブ・シャトランジは、
既に充分に熟していたように私には、認識された。そのため恐らく、イン
ド・チャトランガのルールが、迷走している間に、アラブ・シャトランジ
の方は、象・馬・車が、跳ぶ飛龍、八方桂、飛車に比較的早くに標準化さ
れて、著名な棋士も、発生していたという状態であった、という心象を、
私は今の所、日本語の成書を読んだ限りでは、崩す事が、出来ないでいる。
 つまりアラブ・シャトランジは、充分にアラブ域内では、著名になって
いたので、たとえば、上記で論じた西暦900年~1000年版の、イン
ド・チャトランガ新ルール(四人制生成期二人制チャトランガ)や、西暦
1000年~1048年の、”象駒銀将動き、八方桂の馬と飛車の車の発
生のルール”等は、これらの

どちらをとっても、大して差が無いような、気まぐれな変化と言える
インドの新ルールを、アラブ・シャトランジへは、ほぼ取り入れない状態

に、既になっていたのではないかと、私は疑っていると、言う事になる。
そして、既に安定化したアラブ・シャトランジは、その変化も、それまで
のインド・チャトランガのような100年オーダーから、日本の日本将棋
時代の変化のように、数百年オーダーと緩やかになり、ヨーロッパに伝来
しながら、西洋チェスに進化したのではあるまいか。(2017/08/09)

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