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中将棋には初期の駒の配列に関して、”作法”が無いのは何故なのか(長さん)

江戸時代以降、日本将棋には、初期の駒の配列手順に関して、大橋流と伊藤流
という、駒を並べる作法が存在する。大橋流では、玉、左金、右金・・・と1
段目を配列後、角行、飛車と2段目を配列。次に3段目の歩兵を、先手の升目
で、5七、6七、4七・・・と、左右に配列するものである。それに対して、
伊藤流では、1段目の桂馬までは同じであるが、そこから3段目の歩兵を、
9七、8七・・・と、左から配列し、ついで、1段目の香車を左右へ、2段目
の角行、飛車と配列するものだったと、私は理解する。大橋流は、中央が大事
で、次に左隣、右隣という考え方であり、伊藤流は、中央の駒が上位で、次が
その隣の駒で、その駒のうち左の方が格上、香車、角行、飛車は、兵器と見て、
配列前に戦闘開始が起こるという、”戦闘が開始された道理の矛盾”を避けた
ものなのかもしない。何れにしても、この”作法”は、日本将棋固有であって、
日本の他の将棋時代から、有ったとの証拠は、今の所無い。茶道や華道等、作
法が有る、稽古事が盛んになったのが、安土桃山時代であったからだと、言っ
てしまえば、それまでなのかもしれない。が、能・猿楽等、芸の世界は室町時
代の足利義満の頃から盛んであるから、たとえば、中将棋に同様の類の、駒を
並べる作法が、全く発見されていない理由は、考えてみても、一応ばちは当た
らないのかもしれない。なお、花営三代記や看聞御記の将棋の記載からみて、
足利義持や足利義教の時代には、中将棋だけでなく、恐らく9升目制で持ち駒
有り型の、平安小将棋(標準型)を小将棋として、それも指していたらしい。ここ
で平安小将棋の駒を並べる作法なら、日本将棋から類推する事は可能であり、
小将棋には何か、並べ方の作法があっても、本来はおかしくは無かろう。とも
あれ、中将棋(より駒の数の多い六将棋)に、初期の駒の配列の作法が無い
理由について、理由を結論から、何時ものように書く。すなわち、その理由は、

適当に首輪の鎖を外して、敵陣に突入させ、相手を蹴散らすだけが、実際の戦
闘での使われ方とみられる、制御しない生物兵器、酔象、盲虎、猛豹が、自分
の意思で、左側から行儀良く、順番に並ぶとは考えにくい

からだと私は思う。つまり桂馬と違って、これらの動物は、人間の動物使いが、
戦闘中に、使い手として存在する、兵器ではないからだろう。だからこうした、
めちゃくちゃに、相手陣を暴れまわる、畜生としての象、虎、豹駒の加わった
将棋では、そこだけ作法を考えにくいため、全体として、並べる順序が決まら
ないものと、あるいは、当時から考えられたのかもしれないと、私は思う。た
だし、日本将棋でも、先祖の”横行”は、荒くれ者とは言え、一応人間だった
ようであるが、類似の”角行”は、人間が制御していない、単なる魔物か、ロ
ボットの類なのかもしれないという、問題は有ると思う。(2017/08/15)

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