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「五雑爼」記載、七国象将”騎”駒の価値の謎(長さん)

駒数多数将棋であっも、大将棋の類ではなく、中国発祥の象棋との文献もある、
七国象棋というゲームがある。江戸時代の第十代将軍、徳川家治が、好んで
研究し、若い頃の長谷川平蔵と同様、江戸城警護役(書院番)を勤めた戸田内
蔵助の妹で、当時の下野宇都宮藩の藩主の親戚と見られる、大奥女中の
”戸田おくら”という女性が、たくみだったとの、記録もある。webに、
指し方のルールがあり、駒の動かし方のルールも出ているが、増川宏一著
「ものと人間の文化史 23-1 将棋Ⅰ」(1977年、法政大学出版局)
に、紹介のある、この象棋を紹介した表題の、「五雑爼」の駒の価値に関する
記載から、

恐らくwebに出回っている「騎」駒の動かし方ルールは、誤りだろう

と、私は考えている。理由は、「五雑爼」に”騎”駒が、最も価値が上である
と、出ているが、webのルールだと、偏、碑、弩、弓の方が上で、砲よりも
ひょっとすると下で、その次の、5~6番目の価値のように、私には思えるか
らである。つまり、webの説明では、七国象棋の騎は、高々「縦横に、
(±3、±4)か(±4、±3)かの、合計8升目のどこかに、跳ぶ」との、
ルールか、更にそれに、塞馬脚の加わるルールのように、読み取れるが、これ
は、中国チャンギの、”象”程度の価値でしかないと思う。チャンギでも、
七国象棋の偏に当たる、車の方が、象よりは価値が上とされていると、私は認
識している。従って、少なくとも、

「五雑爼」の七国象棋のルール説明には、上記のweb等から読み取れる、騎
駒のルールとは、異なる説明があるはず

と考える。どう違うのかであるが、増川宏一著「ものと人間の文化史 23-
1 将棋Ⅰ」の、増川氏が清書しなおしたと見られる「七国将棋の図」の駒の
動かし方ルールの図が、ひょっとすると、ヒントなのかもしれないと、私は思
う。「将棋Ⅰ」の図を見る限り、騎駒は、(0、±1)か(±1、0)か
(±1、±2)か(±2、±1)か(±2、±3)か(±3、±2)か
(±3、±4)か(±4、±3)かの、合計28升目の、どれかに、単純に
跳ぶような駒、とも解釈できるように見えるからである。web流のように、

先ず縦横に一升目行ってから、斜めに3升目のケースだけ制限的に、範囲をは
無く、ピンポイントでチャンギの象のように走るとか、または”西洋チェス流
に、4・3だけに跳ぶ”ような類の駒では、無い

のではないか。もし、28升目間を跳び越えて行けるのであれば、確かに七国
象棋の騎駒は、少なくとも、偏や碑に匹敵する強さの駒には、なると私は思う。
逆に言うと、どこでそうなったのかは謎だが、

「五雑爼」の七国象棋は、朝鮮チャンギの象とは動きのパターンが少し違う駒

という事になると思う。私見だが、私は「五雑爼」の「強い騎」が、正しいよ
うに思えてならない。webの騎のルールが正しいとすると、騎が2枚ではな
くて、4枚もあるのが、使い道の少ない駒を、ムダにたくさん増やした感じで、
不自然に思えるからである。また私見だが、webのルールでは、史実と大い
に違って泰軍は、初期配列で、楚軍の弩で右剣が只になっているから、必敗だ
と私は見る。騎は、やはり計28升目へ跳びなのではないのか。もしそうだと
して、「五雑爼」や、増川宏一「将棋Ⅰ」七国将棋の図の、騎駒の形に、ルー
ルを工夫したのが、誰かは私には不明だが、この騎の工夫されていて、中国
シャンチーや朝鮮チャンギ的ではない、駒の性能に関するルールから、

七国象棋は、朝鮮チャンギの成立から、かなり経ってから近世に入って完成し
たものであり、「司馬温公が作った」というのは、単なる伝説に過ぎない

ことを、示唆しているようにも思える。なお、徳川家治が、別の日本の将棋種
よりも、むしろこの将棋を好んだのは、戦国時代後期の群雄割拠の図に、より
類似であると、考えたのだろうと、私は想像する。なお少なくとも三人以上の

多人数将棋は、”漁夫の利作戦”が、私が思うに、相当に有力と見られる

ため、通常の日本の駒数多数将棋と、必勝法が全く違う、別系統のゲームと
みるべきではないかと、私は考えている。(2017/08/19)

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