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なぜアラブ・シャトランジ等が天文学と関連付けられたのか(長さん)

少し前に、アラブ・シャトランジから西洋チェスへの発展が進んでいた頃、
原西洋チェスとしてのアラブ・シャトランジが、太陽系古典天体力学とし
ての、天文学と関連付けられ、その正当性は、衝突・破壊現象が天文の分
野で少ないため、無いとの私説を述べた。では、なぜアラブやヨーロッパ
の恐らく中世に、:原始チェスは、太陽系惑星等、天体の運行と、関連付けら
れたのであろうか。回答となる私見を、いつものように先に書くと、

ナイトの動きを、桂馬から八方桂馬に変えたとき、その変更を正当づける
効果を狙ったため

と考えられるように、私には思われる。アラブ・シャトランジに於いて、
上下左右に動けない駒は、ナイトがもともとは桂馬の動きだったとすれば、
ナイトと兵駒だけである。そして、兵駒は敵陣の最奥の段で成って、相手
の、その筋に居た、一段目駒に成るので、以降、ナイトに成った歩兵以外
は、前後・左右に動きがある事になる。というより、桂馬の動きでは、
ナイトに成る事自体が無意味だが。そこで、チェス駒は太陽系の惑星のよ
うであるべきであるという主張を持ち出し、自分の動きを4回繰り返すと、
元の位置に、丸い軌跡を描いて戻るような、動きにしたのではなかろうか。
つまり”シャトランジの駒は、太陽系の惑星のような、動きが出来るべき
だ”と主張し、桂馬の動きでは、そのような性質の無かったインド・
チャトランガのナイト(900年~1000年までの動き)を、桂馬動き
から八方桂馬に、アラブでは、より早い時代に変えたのでは、ないのかと
私は、想像するのである。そう考えると、

ナイトを八方桂の動きに変えたのは、持駒使用の謎の記載とは違い、イン
ドではなくて、中世に天文学が比較的盛んだった、たとえばイランからで
あった

可能性も、あるように思えてくる。遅くとも、アラブ・シャトランジでは
西暦800年~900年の間で、ナイト(馬)駒が、八方桂になり、逆に
それが、やがて四人制を発生させつつあった、二人制インド・チャトラン
ガに取り入れられて、遅くとも西暦1000年以降には、インドのチャト
ランガ・ゲームも、馬駒は、八方桂馬になったのかもしれない。そうする
と、中国雲南の将棋が元だった、日本の将棋は、アラブからは、より遠く、
最も変化が遅れたから、桂馬のままと言う事になるだろう。
 また、同じく中国長安で指された、後に中国シャンチーへ進化する、ア
ラブ・チャトランガについても、玄怪録の著者の牛僧儒が居た頃には、既
に、長安でも八方桂だったに違いないと、私は最近は考えるようになった。
(2017/08/21)

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